公益財団法人トヨタ財団

助成対象者からの寄稿

地域の「なんちゃない」を主人公に。「いにしによる」─歴史とアートを使った地域づくり─

床下アーカイヴ
床下アーカイヴ

著者◉ 村山(立川)淳(一般社団法人トピカ代表理事)

[助成プログラム]
2019年度 国内助成プログラム[しらべる助成]
[助成題目]
塩江町歴史資料館再建事業 ―変化し続ける、「生存の技法」資料館―
[代表者]
立川淳  (高松市塩江町地域おこし協力隊)※申請時

地域の「なんちゃない」を主人公に。「いにしによる」─歴史とアートを使った地域づくり─

私たちは2019〜2021年にかけて、トヨタ財団の「しらべる助成」を受け(COVID‑19の影響により助成期間を延長)、「塩江町歴史資料館再建事業-変化し続ける、生存の技法資料館-」として、塩江町の歴史の調査・アーカイヴとアート化を行ってきました。今回は、その経過とコンセプト、今後のお話をさせていただきます。

香川県高松市南部に位置する塩江町

塩江町は、香川県高松市南部の徳島県との県境に位置する中山間地域です。阿讃山地、和泉層群の北端部に位置し、泥岩・砂岩・礫岩の薄い層と岩盤からなる立地で、その地質的特色を利用した農業と、讃岐平野部への薪炭の供給、産出する冷泉水を用いた温泉観光業が江戸時代から1960年代まで盛んな地域でした。1970年代以降は、産業の衰退が著しく、現在は人口2,300人程度(最盛期の三分の一)、高齢化率は約50%と、過疎高齢化の典型のような地域となっています。 2005年に高松市に吸収合併されてからは、高松市行政との軋轢や、独立町時代の組織の再編の失敗などで、地域が主体的に町づくりを行うことができていません。2026年に道の駅「しおのえ」の大型リニューアルがあるなど、一定程度の動きはあるものの、必ずしも先行きが明るい地域とは言えないのが現状です。

私たちは2018年に、この塩江で「アートを使った塩江町活性化プロジェクトチーム」というグループで活動を開始、現在は一般社団法人トピカとして地元の方をメンバーに加えて法人化して、さまざまな形で活動をしています。活動の中心となるコンセプトは「幸福なダウンサイジング」と「地域住民自身による主体的な町づくり」です。この地域住民による主体性の獲得という観点から、私たちは歴史とアートに着目し、本プロジェクトをはじめました。一言で言うと、町民の歴史認識の「革命的な転回」を通して、地域住民の暮らしそのものを地域の歴史・資源・コンテンツとして捉え直し、自分たちの暮らしの面白さを中心とした町づくりができないかという試みです。

これまで、町民や高松市の人々による塩江町の歴史認識は、ひとえに「温泉街」と「塩江温泉鉄道」を中心とした歓楽街としての近代史という大きな物語が中心となっていました。学者による社会史や民俗学的側面からの調査は一定程度行われており、その成果も一般的に公開されているものの、町民の歴史認識に大きな影響を与えてはいないのが現状です。特に塩江町は1930年代から戦後、高度経済成長期における華々しい温泉観光地としての歴史と記憶の影響が大きく、現在の町おこしの文脈も、行政・地元ともに温泉観光地としての顔を強く打ち出すものとなっています。

しかし、私たちはこの側面のみを追求する町おこしは環境的な持続性の観点と、近い将来に町が直面する急激な人口減の問題から現実的選択肢ではないと考えました。また、私自身の前職である地域おこし協力隊をはじめとして、若い世代の都会離れが少しずつ進んでおり、その若い世代が地域に求めるものも、バブル期への回帰を彷彿とさせる華々しい観光地ではなく、その地域に根ざした小さくとも充実した暮らしであるという実感がありました。そこで私たちは、歴史の大きな物語の陰で、塩江町にはどのような暮らしがあって、その暮らしが地域のどのような要因を基礎として育まれ、どのように変化してきたのかを見つめ直し、そこから町の形を、地域の住民のみなさんとともに再構築していくことを目指し、生活史の調査を開始しました。

聞き取り調査の様子
聞き取り調査の様子

しかしながら、前述の通り調査自体はこれまでも行われており、問題となるのは町民に届くアウトプットも含めた企画の形でした。そこで私たちは、それまで継続的な交流を行っていたアーティストと文化人類学者のグループ「複数形の世界のはじまりに」のみなさまと協力して、アートを取り入れながら面白く、直観的に塩江の地域の生活史を感じてもらい、さらにそこから町おこしに対する主体性まで繋ぐことができるような形を構想し、調査をはじめました。

企画の本格的な開始と同時に、COVID‑19のパンデミックが重なり、集団ヒアリングやアーティストとの密な交流はうまくいきませんでしたが、トヨタ財団さんの理解もあって、地域住民の健康を第一に考える方針を堅持することができ、逆に地域住民から強い信頼を得ることができました。また、当初はある程度の数をこなす調査を想定しておりましたが、それが難しくなったことを受けて、パンデミック下でも協力してくださった地域住民の家族史や建物の来歴、コミュニティとの関わりをじっくりと調査する方向に転換しました。この調査の過程でアーティストと文化人類学者の方々が特に興味を持たれたのが、藤川邸でした。

藤川邸の外観ほか
左から藤川邸の外観、アーカイヴに関する聞き取り調査、整備前の様子。

一度私たち自身の価値判断を放棄する

藤川邸は、1938年に塩江町の上西地区で着工した内場ダムの建設工事の影響で、もとあった立地から50mほど高い場所へ移築された建物です。その後、1950年代から何度も細かい改修を経て、2階建の家になりました。著名な建築家が関わったわけでもなく、地域の名士の家というわけでもない、私たちが関わり始めたときは、何の変哲もない空き家でした。ですが、地域の「普通」の家という点が私たちのコンセプトとマッチし、また家族史の細かい部分まで公開することを所有者が同意してくださったことから、私たちが塩江で行っていく歴史展示のあり方のモデルケースとして活用させていただくことになりました。

調査開始時は、家自体は居住空間ではなく、現在の持ち主の倉庫として、使っていない家財道具や茶刈り機などの季節性の農具、昔の書籍などが雑多に積まれている空間でした。普通、空き家再生のプロジェクトでは、最初に片付けがあり、このような家財の取捨選択を行い、不必要なものは廃棄します。しかしながら、私たちは片付けにあたって「何が重要で、何が重要でないかの価値判断を一度放棄する」こととし、民俗資料館に入るような貴重な道具から、平成になってから生産されたプラスチック製品、はたまた、畳の隙間のたまっていたホコリや蜘蛛の巣なども全て家の「アーカイヴ」として収集しました。

アーカイヴは合計800点を超え、現在も増え続けています。それらをタグ付けし、その家に関連する方々をお呼びしてご覧いただき、何度も何度も思い出話をしていただいて、記録とタグの更新をしてきました。

この過程がまさに、私たちが塩江で目指したい地域づくりの方法と合致していました。地域のモーメントを作った大きな歴史物語のみを出発点としそこへの回帰を目指すのではなく、その華々しさの陰にありながらも、まさにその歴史を支えてきた人々の生活に重きを置く。英語では「革命」に”Revolution”という単語を充てますが、これは、下にあったものが上に、上にあったものが下に「転回する」ことを意味します。私たちは、塩江町の歴史の一番下にあったものを上に持ってくるために、一度私たち自身の価値判断を放棄し、その生活の当事者が持つ物語を通して、意味付けをやりなおしてきました。

床下アーカイヴ
床下アーカイヴ

塩江町の未来

「いにしによる」展のちらし
「いにしによる」展のちらし

ワークインプログレスがどうしても長くなってしまうこの方法論ですが、興味を持ってくださる方も多く、2022年10月から12月には、香川県の広域民俗資料館である瀬戸内海歴史民俗資料館での展覧会「いにしによる-断片たちの囁きに、耳を-」を行いました。このタイトルは、聞き取りの過程で、通りの辻にある藤川邸は地域の人が帰宅途中にちょっと寄って立ち話をしたり、お茶を飲んだりするような立地であったことを、昔住んでいた方が讃岐弁で「いにしによる」と表現したことを受けて命名しました。地域住民をはじめ、企画に参加、見学していただいた方の受けもよく、「この展示をきっかけに自分たちの家の歴史を見直してみようと思った」というような、狙い通りの声もいただいています。

しかしながら、現時点では私たちの企画は歴史とアートのコラボレーションの域を出ておらず、観光や学習のコンテンツとしては魅力あるものになりつつありますが、「地域住民自身による主体的な町づくり」のハブとしての機能を持たせることはまだできていません。私たちが行ってきた調査とアウトプットの形をいかに継続し、地域住民の歴史認識に変化をもたらし、地域づくりの文脈にまで反映させるか、これからが私たちの正念場だと思っています。

2023年に、「いにしによる」は宿泊できる歴史資料館として、2Fのアーカイヴ部分をゲストハウス化する予定です。また、民営の塩江町歴史資料館の分館としてのタイトルをいただく予定で調整が進んでいます。1F
部分のアートスペースは急がず長い時間をかけて進めていく予定なので、しばらくはワークインプログレスが続きますが、作業の工程も常に一般公開しています。

地域の人たちは「塩江にはなんちゃない(なにもない)」と言って、畑を耕し、山を整え、日々を暮らしていますが、彼ら/彼女らの生活には、私たちが学ぶべきものが溢れています。その面白さ、すごさに着目し、塩江の地域づくりの主人公に据えていく。そんなコンセプトを持って私たちはこれからも活動を続けていきます。コンセプトを先行させすぎず地域の人と同じ釜の飯を食べながら、でもコンセプトを置き去りにせずに日進月歩で進む、私たち塩江町にご注目いただき、ぜひ遊びにきてくだされば幸いです。

最後に

最後に、本プロジェクトの進行にあたっては、小野環氏(美術家)、服部志帆氏(文化人類学者)、横谷奈歩氏(美術家)の3名に地域調査からアイディアの提供、プラン作成、実際の工事まで、幅広くご協力をいただきました。アーティストや学者という言葉だけでは内包できない幅と深さで塩江町に関わってくださいました。また、こちらに全員のお名前をあげることはできませんが、藤川邸の藤川剛氏をはじめとして多くの塩江町民の方々のご支援がなければ、このプロジェクトは始まりませんでした。みなさまの皆様への感謝をここに表明させていただきます。

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