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【開催報告:レポート編(後編)】トヨタ財団主催シンポジウム みんなと考えるメンタルヘルス ―「アスリート」という生き方を事例に―

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情報掲載日:2023年9月7日

メンタルヘルスの課題をトップアスリートや専門家が発信!

メンタルヘルスの課題をトップアスリートや専門家が発信!

“自分ごと”として向き合う大切さをみんなで考えるシンポジウム(後編)

2023年2月に開催された、トヨタ財団主催のシンポジウム 「みんなと考えるメンタルヘルス―アスリートという生き方を事例に―」。前編では、第1部の「アスリートと考える次世代のメンタルヘルス」と、第2部の「アスリートを取り巻くメンタルヘルスの課題」というテーマでの専門家の発表を紹介しました。後編では「アスリートと一緒に考えるみんなのメンタルヘルス」をテーマに、トップアスリートと専門家、そして会場やオンラインで参加された皆さんとの熱い議論が繰り広げられた、第3部のパネルディスカッションの様子をお届けします!

【第3部】

アスリートの実体験と研究者の理論でメンタルヘルスを紐解く
第3部は、ウルヴェさんがファシリテートを担い、1部や2部で登壇した小塩さん、山下さん、川村さん、そして競泳五輪メダリストでチームジャパンのキャプテンも務め、現在JOCアスリート委員長の松田丈志さんも加わってパネルディスカッションが開催されました。テーマはずばり「アスリートと一緒に考えるみんなのメンタルヘルス」。アスリートと専門家、そして参加者と一緒に「メンタルヘルスとは何か」について考える時間は、アスリートの経験に基づいた見解と、研究者の知見が飛び交う有意義な機会となりました。

自己紹介も兼ねて最初に発言した松田さんは、主にメンタルに関する持論とエピソードを語ってくださいました。1つは、「アスリート=メンタルが強い」と思われることに対する違和感です。メンタルは「強い」と「弱い」の2極化で考えるのではなく、「スキル」として考えることを提示され、「例えば、緊張するのはその人の個性。弱いと考えるのではなく、『自分は緊張している』と気づいてスキルで修正すればいいと思います」と松田さん。

現役時代、スウェーデンの首都ストックホルムへ遠征したとき、試合での競技成績が悪かったわけでもないのに気分が落ち込んでしまったというエピソードも紹介。原因は、なんと太陽。冬の試合で太陽がほとんど顔を出さず、南国宮﨑で太陽の光を浴びて育った松田さんは、日の光を浴びないだけでこんなに元気がなくなるのかと驚いたそうです。「環境次第で誰でもメンタルヘルスが低下する。しかし原因が分かれば、自分が心地よい状態なるための対処法を考えられます。その引き出しをたくさん持っているほど、落ち込んだり緊張したりしたときに対処しやすく、フラットな状態に戻りやすくなるのではないでしょうか」と述べられました。

2つ目は、幼い頃から二人三脚で登り詰めて五輪のメダルを獲得した久世由美子コーチの言葉を紹介されました。松田さんの可能性を信じて常に前向きな言葉をかけてきた久世コーチは、松田さんが幼い頃から「丈志いいか。水泳が人生のすべてじゃないからな」「水泳を引退した後の人生のほうが長いし大事なんだよ」と言い続けてきたそうです。「水泳コーチなのに、なぜこんなことを言うんだろう」と不思議に思っていた松田さんでしたが、子どもの頃から刷り込まれていたこの教えのおかげで、現役中も引退後に自分がやれること、そして泳いでいる意味を考え続けられたとか。人生を俯瞰し長期的な視点で捉えることが、アスリートのセカンドキャリアにおいて重要だと松田さんは締めくくられました。

在JOCアスリート委員長の松田丈志さん
JOCアスリート委員長で競泳五輪メダリストの松田丈志さん(左)と、ファシリテーターを務められたスポーツ心理学者でシンクロ・デュエット五輪メダリストの田中ウルヴェ京さん

選手の悩みを聞き、気づきを与える「PDP」プログラム
松田さんの話に大きくうなずきながら聞いていた川村さんは、「五輪選手でもそうでない選手も、それぞれのレベルで最大限のプレッシャーを感じています。それを軽減するのが、松田さんがおっしゃった通りスキルであり、強靭なメンタルの持ち主というイメージのアスリートが『メンタルはスキルだ』と社会に発信できれば、救われる人がたくさんいるのではないでしょうか」と話してくださいました。

さらに、日本ラグビーフットボール選手会の会長だったときから注力している「PDP」についても紹介されました。「PDP」とは「Player Development Program」(プレイヤーディベロップメントプログラム)の略で、世界各国のラグビーやクリケットの選手会で導入されている、選手のあらゆる悩みを聞くというプログラム。プレイヤーデベロップメントマネージャーという担当者が、「財務(お金の使い方)」「キャリア」「メンタル」「ウェル・ビーング」の4つテーマに関する選手の悩みを、対面やオンライン、ワークショップで聞いていくそうです。

「所属先ではなく、選手会がプレイヤーデベロップメントマネージャーを雇用することが特徴。こうした雇用体制なら選手たちの心理的安全性を保つので、弱みや言いにくいことが話しやすくなります。話しているうちに、選手自身が自分の心理に気づくことが目的。弁護士や臨床心理士、キャリアアドバイザーといった専門家にも入ってもらうことも重要です」と話されました。

今でこそこうしたアスリートのメンタルサポートの活動をする川村さんですが、大学までは根性論を振りかざし、「男なら泣くな」「ミスするんだったらもっと練習しろ」などと自他ともに厳しかったと言います。社会人の実業団選手になり試合に出場できない状況に陥って初めて、精神的に落ち込んでしまったとか。「フッカーのポジションには3つ年上の先輩がレギュラーで僕はずっと2番手のまま。メンタルの低下とともに殻に閉じこもり、他人を寄せ付けずひたすら練習していましたが、なぜかパフォーマンスは落ちていきました。でもあるとき、先輩や後輩に自分の思いのうちを話したら頭がクリアになって、自分が置かれている状況が明確になった。悩みを吐露するうちに自分が考えてくれることを分かってくれる人たちも増えていきました。『あいつはああいう考え方だから、こういうプレーをする』と周りがサポートしてくれて、それからラグビーをする時間がすごく楽しくなったんです。こうした経験が、PDP活動の後押しにもなっています」。


他者との関わりが緊張状態を緩和させる
松田さんも現役時代のメンタルに関するエピソードを紹介されました。1つは、高校3年生から大学1年生の2年間、自由形においてスランプに陥ったときのこと。泳ぐ前から「今日もダメなんじゃないのか」と弱気になりますが、唯一、自由形でもいい記録で泳げるときがあったとか。それは、チーム種目であるフリーリレーでした。「今の自分に足りていないのは、他者との関わりなのではないか」と気づき、チームメイトとの交流が増えたと言います

もう1つは、初めて出場した2004年のアテネ五輪で、メダルを狙っていたバタフライで準決勝敗退になったときのこと。「本番で力を発揮できないタイプなのかな」と落ち込んだそうです。でも、五輪金メダリストの北島康介さんをはじめ、メダルを獲得した仲間と自分を比べたときに、オンとオフの切り替えが下手だったことに気づきます

「遠征先でのオフは、北島さんたちは観光に行ってその瞬間を楽しんでいて、五輪の選手村でもみんなリビングでワイワイ楽しそうにゲームしている。一方、僕は観光に行かず、ゲームもせず部屋で体を休めていました。それなのに本番になると、心身ともにくたびれていた。なぜだろうと考えたときに、リラックスできる時間をつくるからこそ、五輪の大舞台という極限の緊張状態に耐えられる力が発揮できるのかと思ったんです。そこから、僕も休日は高校時代の友人と会って話すなど、競泳から離れたリラックスできる時間を持つようにしました。これも1つのスキルですよね」。

そんな2人のアスリートのエピソードから小塩さんは、「他者との関わり」をキーワードに挙げました。「メンタルヘルスケアでは、他者との関わりはとても大事です。自分の思いを伝えて仲間や友人が聞いてくれれば、自分を受け入れてもらえたという感覚を得られ心が落ち着きます。川村さんは毎日日記を書いているんですよね。話す相手がいないときは、思いを文字にすることも大切だと思います」と解説されました。

トヨタ財団シンポジウム
第3部パネルディスカッションの様子:左から小塩靖崇さん、 川村慎さん、松田丈志さん、田中ウルヴェ京さん、オンライン参加の山下慎一さん

勝っても負けても同じ表情で選手を迎える
質疑応答の時間では、あらゆる立場の観客から質問が挙がりました。「スポーツ全般の専門知識や国内トップレベルでの競技経験はないが、選手のメンタルをサポートするにはどうすればいいか」という競技団体で選手の育成を行う立場の方からの質問には、小塩さんは「見守ること」をポイントに挙げました。「選手が自分の意思でプレーができ、行動を選択できることが大切。見守りながら、選手の意思決定を尊重するような環境を築けばいいのでは」とアドバイス。

松田さんは、選手が成長する瞬間は、目の前で起きていることを“自分ごと”として捉え、「なぜ自分が今これをやっているのか」ときちんと把握できたときだと述べました。「それができている選手、できていない選手では五輪の舞台でも差が出ます。例えば、五輪代表になればスポンサーからの期待が大きくなり、地元に講演会ができて応援してくれる人も増える。誰よりも自分がメダルを獲得したいはずなのに、期待が大きくなるほど“応援者のため”になって五輪を楽しめなくなります。『自分が五輪でメダルを獲得したいんだ』というモチベーションの根源を選手が理解し、それを促すようなサポーターがいるかどうかで選手のメンタルは変わると思います」。

「勝っても負けても同じ表情で選手を迎えてくれるサポーターだとうれしいですね」とウルヴェさんが話すと、川村さんも「うちの両親は、僕のプレーに興味はあったと思いますが、『レギュラーになったの、ふぅ~ん』『負けたんだ、残念だったね』などと過剰な期待を示さず、助けられました」と実体験を教えてくれました。

それを聞いたウルヴェさんは、「セキュアベースリーダーシップ」という理論を紹介。リーダーが安全基地(セキュアベース)になることで、メンバーの可能性を開くというリーダー論です。「家族のリーダーとも言える存在の親は、よかれと思って子どもにいろいろ介入したくなります。でも自分は充電池だと思って、例えば、試合に勝っても負けても子どもが『ただいま』と帰ってきたら、自分のいろんなところにあるプラグにどこでも刺してOKだよというイメージで受け入れてあげてほしい。それだけで子どもは安心します。親の立ち位置として一番大事なこと」と教えてくださいました。


環境を整えれば心理的安全性につながる
「明らかにメンタルヘルス不調を来しているが、本人はもっと仕事がしたいという場合、どうすればいいか」というタレントのメンタルヘルスケアを担当されている方からの質問には、「明らかに休んだ方がいいという状態なら、相手に理由をきちんと説明し、その環境から距離を置くように促すことが重要」と小塩さん。大事なのは、メンタルヘルスが不調に陥っていることをすぐ気づけるように、常に近くで見ていることとも話されました。

川村さんは、芸能界も心理的安全性の環境の構築が大事だと思うと指摘。「休むことによるリスクが、タレントさんが 休めない理由になるはず。『大丈夫、あなたが少し休んでも給料は出るし、その後の仕事も確保しているから』など、休んだときに周りの人が守ってくれるシステムが構築されていれば心がラクになり、メンタルヘルス不調のときに休みやすくなります。これはケガをしたアスリートにも言えること」と話されました。

ウルヴェさんは、ヘルスリテラシーを高めることも重要だと付け加えました。ヘルスリテラシーがあれば、メンタルヘルス不全の状況を受け入れられ、対応策を議論できるとのこと。チーム内で誰かがメンタルヘルス不全になったとしても、メンバー全員の知識や理解があれば、「ではどうしたらいいか」といった前向きな議論ができ、行動に移しやすくなります。環境面を整えることが心理的安全性につながるのだと、登壇者のみなさんの意見が一致しました。


その道のスペシャリストからスキルを学ぶ
次は、「虚勢を張って殻に閉じこもっていた期間が長く、今は少しずつその殻を破りつつある。そんなふうに殻に閉じこもっている期間は、成長するために逆に重要ではないかと思う。この期間は、どう過ごせばいいか」との、現役のダンススポーツ選手からのリアルな質問に、松田さんも川村さんも「いい質問ですね」と共感されました。

「殻に閉じこもる期間が長すぎるのはよくないが、必要な時間」と松田さん。徹底的に自分と向き合ってほしいとエールを送りました。その上で「これではダメなんだという瞬間が最大の気づきで、成長するチャンス。メンタルやトレーニングなど、その道のスペシャリストからスキルを学ぶのも成長スピードを高める方法だと思います」と紹介。実際に松田さんも、2012年のロンドン五輪後、アスリートのセカンドキャリアの知見がある人から学び、今の事務所に所属する選択につながったそうです。「専門家の力を生かして、自分が目指したい方向へ進むことが大事」だとアドバイスしました。

「殻に閉じこもり頑張っていた時間を否定せず、ある程度の時間をかけて乗り越えていけばいい。つまり自分で選択することが大事」だと川村さん。小塩さんは、「殻に閉じこもる時期は、アスリートに限った話ではなく思春期に起こりやすい。実は、脳科学的には思春期は25歳、もしくは30歳ぐらいまで続くと言われていて、それはアスリートのパフォーマンスのピークと重なっています。殻に閉じこもりやすくなる時期だと、選手自身はもちろん、指導者やチームスタッフも知ることが大切」だと教えてくれました。

トヨタ財団シンポジウム

「自分が自分である」ということ
終わりの時間に近づき、最後に登壇者のみなさんから一言ずつ感想をいただきました。山下さんからは、「メンタルが強いと言われるアスリートが発信することが意義深いこと。今日のシンポジウムがスタートとなり、振り返ったときにここから社会がよくなったねと言われるようになればいい」と話されました。

松田さんは「現役中に散々自分の体と向き合ってきたので、僕は絶対に慢性的なケガをしない自信があります。少しの違和感に気づけるので、ストレッチやマッサージなどで対応できるから。メンタルヘルスも同じ。壊れる前に1日5分、10分でもいいので自分の心と向き合う時間をつくるなど、メンタルヘルスをよい状態に保つためのスキルを身に着けてほしい」とアドバイス。

川村さんは、「自分が自分で ある状態を保つ」が重要で、そのためには「自分と向き合うということから逃げず、いろいろ試しながら生きていくことがメンタルヘルスではないかと思っています。『よわいはつよいプロジェクト』と『PDP』プロジェクトを広めて、アスリートだけでなく社会にいい影響を与えていけたら」と語ってくださいました。小塩さんからは、「アスリートが自身の経験を言葉にし、私のような研究者の知見を示していくことが、より説得力のあるメッセ―ジになると思う。貢献したい思いが強まった」と話してくださいました。

最後に、みんなの意見をウルヴェさんが総括として話されました。1つは、「自分が自分であるということ」。「自分は何の目的があって生きているのだろう」「人生は私に何と求めているのか」などと自分と向き合い掘り下げていく作業が大事。2つ目は、「心の不調に敏感に気づき、複数の対処法を持つこと」。諸外国のスポーツ界では「ウィニングウェル」という言葉があり、「選手にとって心身ともに健康であり、結果を出すということ」という意味だそうです。「でもここでの『結果』とは、その選手にとっての勝ち負け。つまり負けてもそれを受け入れられたかどうかまでを追求することが大事だとされます。このような話も含め、今後も多くのアスリートや専門家のみんなさんとともに、みんなでメンタルヘルスについて考える、今回のシンポジウムのような機会があればいいと思います」と締めくくり、会場から大きな拍手が起こりました。

メンタルヘルスをテーマに掲げ、アスリートの現状を切り口に、スポーツに携わる多職種によるあらゆる報告から、多くの学びや気づきが得られました。今回をスタート地点として第2回、第3回へと続くことが期待される中、シンポジウムは幕を閉じました。

構成/高島三幸

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