情報掲載日:2025年5月23日
トヨタ財団50周年記念事業特別インタビュー
日本からチリへ、震災から得た教訓の「翻訳」──遊びと語りを軸にした、コミュニティにおける防災とレジリエンスを高める国際協力

取材 ◉ 加賀道(トヨタ財団リサーチフェロー)
執筆 ◉ 岡村直人
天災は忘れた頃にやってくる。日本でもチリでも人口に膾炙している警句だ。しかし、自身の家族が1995年の阪神・淡路大震災と2011年の東日本大震災という日本の近年において二つの大地震を経験するまでは、文化人類学者でマンチェスター大学の上級講師である渡辺知花氏にとってこの警句の持つ重要さは腹落ちしていなかった。大災害は身近な生活に影響を与えかねないと気付き、渡辺氏は自身の学問研究の一環として防災 (disaster risk reduction災害リスク軽減)に取り組むことにした。
日本から地球の反対側にあるチリでは、2010年に大地震が西海岸沿いを襲った。タルカワノ市役所に勤めるボリス・サエズ氏自身もその際地震と津波に被災し、同市だけでなくチリが国レベルでも災害に対する備えが出来ていない事実を目の当たりにした。震災後、欧州連合 (EU) や国連 (UN) などが現地を訪れ、地方自治体や地元住民に援助の手を差し伸べた。その一つに国際協力機構 (JICA) があり、現地で防災対策に取り組んだ。サエズ氏にとって防災という考え自体が目新しいものであった。この取り組みについてもっと学びたいと関心を高め、その後4回来日することになる。
タルカワノ地区のオフィスで行われたインタビューで、渡辺氏とサエズ氏はこれまでの人生経験やチリで実施したプロジェクト、今後の仕事上の抱負や夢について語ってもらった。
助成対象プロジェクト

- プログラム
- 2018年度 研究助成プログラム
- 企画題目
- 防災価値の翻訳:日本とチリとの防災に関する国際協力における「遊び」の役割
- 助成番号
- D18-R-0022
- 助成期間
- 2019年5月~2021年4月
- 企画概要
- 災害対応の分野では、成功事例の適用が各国における災害リスクを軽減する重要な要素であると考えられている。日本とチリは、何十年にも渡り災害対策で協力してきたこともあり、両国の事例は良い見本となる。本プロジェクトは、「遊び」の要素を取り入れた手法を通じて、どのように防災 (disaster risk reduction)の考えを日本から現地状況を踏まえチリへ「翻訳」するかについて検討する。その活動として、子ども向けのボードゲーム作成や世代を超えて被災経験の話しを共有する活動などが含まれ、地元コミュニティの人々のレジリエンスを高めることに寄与している。本プロジェクトは、効果的な防災協力プログラムをどのように設計し、実施するのかについて浮き彫りにする。
渡辺氏の歩んできた人生:サードカルチャーキッドから文化人類学者へ

日本で生まれた後、渡辺氏はスペインで幼少期を過ごしスペイン語を話せるようになった。10歳で日本に帰国し、アメリカンスクールに入学し英語を身に付けた。小さい頃から日本、スペイン、アメリカと3つの文化を経験し、いずれの文化にも属していないと常に感じてきた。「一体帰属とはどういうことなのだろうといつも関心を持っていました。文化を身に付けるとはどういうことなのだろう、と。アメリカの大学に進学し、文化人類学を学んで気付きが多くありました」と渡辺氏は話す。
当初、文化人類学への学問的関心を追求するかNGO分野で働くか悩んだ末、先ず日本にある緊急事態に対応するNGOで職を得て、スリランカやパキスタンで震災後の支援プロジェクトに関するプログラムオフィサーとして働き始めた。その後、米コーネル大学で博士号を取得することに決めたのだった。「私の疑問に答えられるのは文化人類学だけだったんです」と当時を振り返えりながら語った。
最初に行った調査は、ミャンマーにおける日本の支援に関するものだった。その調査が終盤に差し掛かった時、未曾有の大地震が日本を襲った。東日本大震災である。
2011年3月11日、日本史上最大であるマグニチュード9.0の地震が東北沖で発生し、大津波と福島第一原子力発電所で大事故を引き起こした。「ミャンマーにいて津波の映像が多く流れ、研究を続けられるどころではなかったんです。帰国して、東北地方で支援活動を行うNGOを手伝いました。それで、次のプロジェクトは災害に関連することをやろうと考え始めました」と渡辺氏は話した。
実際、彼女の家族もまた東日本大震災と1995年の阪神・淡路大震災に被災していたのだった。2011年の震災当時、渡辺氏の両親は東京に隣接し埋め立て地に造成された浦安市に住んでおり、同市は大規模な液状化現象によって被害を被っていた。地面は波を打ったように隆起し、何週間にも渡ってガスや水道の供給が停止した。「両親の家ではトイレは使えたので本当に助かりました。でも水道水は出なくなり、自治体のトラックから水を補給してもらわざるをえなくなりました」と当時の様子を語った。2011年以降、渡辺氏の母親は定期的に水や食料を備蓄し、家具を固定するなどそれまで以上に自宅で防災への備えを強化し始めた。
また、1995年1月17日の早朝マグニチュード7.2の地震が発生した時、渡辺氏の祖母は震源地に近い神戸市に一人暮らしをしていた。祖母に連絡がつかなかったことから、母親がパニックに陥ったことを渡辺氏は憶えている。「被災地はどこか遠くにあるのではない、ということを本当には理解していなかったんです。私の研究プロジェクトは、私的な意味でも職業的な意味でも、災害というトピックには非常に説得力、大きな影響力があると感じます」と渡辺氏は語った。
2016年、東京で開かれた国際協力機構 (JICA)の研修プログラムに参加し、後にチリで現地のプロジェクト・パートナーになるボリス・サエズ氏と出会った。彼もまた研修のため来日していたのだった。「チリ出身だと聞いて、スペイン語も話せるから日本とチリに関する研究が出来ないだろうかと考えました」と渡辺氏は述懐した。昼食時、彼女自らサエズ氏に自己紹介をし、その縁で2017年4月に同氏に会うためにタルカワノを初めて訪れることになる。
サエズ氏の歩んできた人生:防災に関わるようになった経緯

一方、サエズ氏は、2007年にタルカワノで土木技師として働き始めた。2010年にマグニチュード8.8の大地震がチリ中南部沖で発生した3年前のことだった。チリには1835年や1960年に起きた大地震の歴史があるものの、それらの経験から得た教訓を十分に生かすことが出来ずにいた。「備えが出来ておらず、タルカワノでも津波被害がありました。当局も、コミュニティも、学校も全てがうまく機能しませんでした。現実を目の当たりにしたんです」とサエズ氏は話す。
この経験を通して、災害後に人々はさらに脆弱な状況に追い込まれ、将来的に一段とリスクが高まってしまうことを痛感した。「災害は、私たちの生活の質に影響を及ぼします」とサエズ氏は説く。同時に、災害の発生は、人々が教訓を得るチャンスにもなることが分かってきた。しかし、そのような貴重な機会を逃してしまうと災害の被害は繰り返されてしまう、とサエズ氏は述べる。
災害時に関する情報や支援を提供する施設がチリの首都サンティアゴ市にあるが、緊急時に備えておくべき物資について指示を与える程度だ。例えば2010年の地震では、当局は津波リスクに関する警報を出さず、市民に自分たちの家に戻るようにと伝えた。その結果、多くの人々が犠牲になった。「防災政策において地域コミュニティのことが考慮に入っていないんです。海岸近くに住んでいるのに津波を想定していなかった。どう被害を防ぎ、軽減し、対応すべきか知らなかった。往々にして必要な情報が一番必要な時に共有されていなかった」とサエズ氏は口にした。
チリにおける防災意識の欠如に対応するために教育が必要不可欠だ、との信念をサエズ氏は抱いている。災害についてのネガティブな記憶を封印するのではなく、将来の災害リスクを軽減し過去の被災経験を忘れないようにするために人々に学ぶ機会を提供することが重要であると考えている。「記憶することが、災害を回避する第一歩なのです」と同氏は述べた。
2016年にサエズ氏と渡辺氏が知り合った国際協力機構 (JICA)の研修で、神戸に本拠地を置く特定非営利活動法人プラス・アーツは防災の取り組みについてプレゼンを行った。同法人は、1995年に起きた阪神・淡路大震災の10周年を記念して設立された団体であり、楽しく遊びながら防災について学ぶことを使命としている。このプラス・アーツの取り組みはサエズ氏に魅力的に映った。彼自身が行う防災活動において子どもたちに教えることを重要な要素として捉えていたからだ。
刺激を受け、プラス・アーツのやり方を学ぶことにした。同団体は、ボードゲームやバケツリレーなどのゲーム的要素のあるさまざまな活動を採用し、子どもたちも親たちも災害状況に対応する方法を学べるように支援している。サエズ氏は、この手法を渡辺氏の言う「翻訳」をして、タルカワノで行っている防災教育に応用し始めた。
チリの子どもたちに防災を伝える取り組み
タルカワノで防災に関する考えや実践を広める上で、子どもたちはやる気があり、頭がやわらかく、新しいチャレンジに取り組むのが好きなので、サエズ氏は特に子どもたちに注力している。そこで、子どもたちに防災知識を与えるためにゲームを用いたワークショップを催している。「授業ではなくゲームなので、子どもたちのやる気をかきたてます。子どもたちでうまくいけば、誰に対してもうまくはずです」とサエズ氏は思いを語った。
子どもたちが防災や災害への準備を遊びながら学べば、自宅に帰って家族にも情報を共有するだろうというのが同氏の狙いだ。「子どもたちは良い伝え手です。防災について家族に伝えられるのです」と意気込む。
この活動に向けて、校長や教師たちと話すべくいくつかの学校を訪れ、この取り組みに協力してもらえるよう説得に努めた。現地の社会的環境下では、学校こそが子どもたち一人ひとりを肯定的に認める唯一の場所だからである、とサエズ氏は信じている。「多くの子どもにとって、学校は安全な場所なので、災害について学ぶ機会を子どもたちに与えようと努めています。もっと学びたくなったら、ここに来ればいいわけです」と説明する。
さらに、教師たちも災害への備えに関するスキルも知識も習得するチャンスがなかったので、学校で防災ワークショップを開くことは彼らにとっても良い訓練になることが分かった。ワークショップが終わった後、サエズ氏は防災に関するパンフレットを参加した子ども自身の分と家族や友達など親しい人に配る分と二部ずつ子どもたちに渡すようにしている。サエズ氏たちが行った調査によると、8割以上の参加者が他の人にパンフレットを渡したことが明らかになった。「全ては知識を得ることから始まります。如何に防ぎ、備え、対応し、知識を共有し拡散するのか。より多く学べば、よりリスクを軽減できます」と力説する。

災害経験者の語りを防災に生かす
渡辺氏とサエズ氏が注力しているもう一つの活動が、タルカワノに住む被災者たちのオーラルヒストリーや語りを収集することだ。2017年、サエズ氏のプロジェクトチームは地震の生存者たちの写真を展示したところ、何人かの人たちからもっと良い写真があると告げられた。そこで、写真を持って来てもらうのと同時に長さ100ワード程度の話しを書いて欲しいと頼んでみた。「災害を決して忘れない。それこそが、記憶することの大切についてのメッセージです」とサエズさんは話す。
それ以来、渡辺氏、サエズ氏、他のプロジェクトメンバーは災害を生き抜いた人々の話しを集め、「レジリエンスの声」と題するプロジェクトの研究を進めた。しかし、サエズ氏は当初困難に直面し、最初の頃に行ったインタビューに落胆したのだった。チリで起こった1960年と2010年の大地震から得た教訓を被災経験者から何とか聞き出そうとしていたのだが、望んでいたような答えがなかなか得られなかった。その後、彼らの人生全般が教訓そのものなのだと悟るに至ったのだった。「このことは、レジリエンスとは何かということであり、人生は災害に関することだけでないんです。様々な困難を乗り越えることこそが人生なのです」と彼は述懐した。
渡辺氏とサエズ氏はまた、子どもたちがタルカワノのお年寄りに話しを聞き、強く印象に残ったことを絵に描くという異なる世代の人たちが参加するワークショップも開催した。双方の参加者にとって意義深い経験となった。異なる世代が交流したことによって、お年寄りは自分たちが大切にされていると感じ、子どもたちの中には愛する家族を失った経験を共有できたことで大人たちとつながることが出来た。お年寄りと交流したことで、子どもたちは普段は隠していた感情を解き放つきっかけを得られたのだった。

これらの活動を通して、渡辺氏とサエズ氏は4つの成果を上げることが出来た。1)ボードゲーム、2)被災者たちのライフストーリーに基づいた絵本、3)漫画本、4)ドキュメンタリー映画の4点である。ボードゲームは、タルカワノの地理や状況、経験に基づいて作られている。絵本は、タルカワノのお年寄りから聞き取った1960年と2010年の大地震とその後の津波の経験および教訓についての話しや人生における価値観について描写している。漫画本は、タルカワノ市役所の児童担当部署が開いた防災と漫画についての集まりに参加した子どもたちが描いた。漫画本には、子どもたちの視点から防災に関する知識を伝える意図が込められている。最後に、40分のドキュメンタリー映画は、タルカワノに住むお年寄りの経験した災害に関するライフストーリーと人生におけるレジリエンスの価値を伝え、2022年4月に行われた世代を超えた人々の活動を追っている(ドキュメンタリー映画は以下のURLで視聴可能:https://youtu.be/Oa6GTnSAEhc)。
これらの活動と成果は、災害を経験し生き延びた人々の記憶と教訓、人生におけるレジリエンスの重要性を保ち、将来の世代へと伝えていくことを目的としている。「レジリエンスとは災害に立ち向かうだけではないんです。人生の様々な困難に直面し、日々の中で必要とされるスキルです。防災がゴールではなく、全般的に人々の日々の暮らしを向上させることです」とサエズ氏は熱く語った。
今後のプロジェクトと夢として掲げる目標

トヨタ財団の助成を受けた本プロジェクトは、防災の価値を日本からチリへと「翻訳」し、防災準備をチリの人々の日々の生活に取り入れてもらう上で、遊びを用いた手法が実際効果的であることを証明した。日本の特定非営利活動法人プラス・アーツが開発し、防災の価値を学ぶことを子どもにとっても大人にとっても楽しい経験とするこの独自の手法が今やタルカワノ市に根付きつつある。だが、渡辺氏もサエズ氏その先を見据えている。災害に備えるというメッセージを広げるためにまだやるべきことはたくさんあると感じている。
渡辺氏は、サエズ氏と共にインタビューした12名以外のお年寄りに聞き取り調査を行えるようさらに多くの研究資金を受けられればと願っている。「コミュニティの別の場所か、またはチリの別の地域で多くの人たちに同様の活動を行えればいいですね。異なる状況を比較検討できます。本当にそうできたらいいですね」と希望を語った。
それに向けて、2025年に新たな資金源を獲得すべく申請を検討している。その資金を用いて、チリ人の家族における関係性のダイナミクスに関して民族学的な研究を行い、より深く理解できるようになると彼女は考えている。タルカワノで実施したインタビューの中で、親が忙しすぎるため子どもと食事を共にし、その日あった出来事を話す子どもたちに耳を傾けたり尋ねる余裕がない家庭があることを目の当たりにした。特に脆弱な状況におかれている家族においてはそうであった。「サエズさんたちは、子どもたちは防災の教訓を家族に伝えることができると言います。それを理解するためにも、子どもたちが家族内の他のメンバーにどのように伝えるのか、両親に伝える上でどのようなスペースがあるのかを把握する必要があります。家族内のコミュニケーションで子どもが果たす役割をよく理解したいと思っています。タルカワノで行ったことをさらに深堀すること。それが夢の一つです」と渡辺氏は語る。
また、彼女は別のプロジェクトにも関心を抱いている。高齢化社会と人口減少が、地域コミュニティにおける防災の取り組みに与える影響についてだ。例えば、日本では人口減少が続いており、少子化も進行している。その結果、一人世帯数が急増している。「家族の形態が変わり、人口がますます減少している時に、コミュニティに根差した防災準備をどのように行えるのでしょうか?」と渡辺氏は自問する。
この人口減少に伴う課題は、日本のような高齢化社会に限った話しではない。チリは中南米地域で出生率が最低であり、この問題は同国にとっても他人事ではない。「チリでは家族がとても重要なので、人口減少問題を誰も語ろうとはしません」と渡辺氏は危機感を顕にする。人口減少に直面する中でどう防災に取り組むのか、という問題を次の研究プロジェクトとして取り上げるつもりだ。
一方、サエズ氏は、彼自身が2010年代に国際協力機構 (JICA)の訓練を受けに来日したように、タルカワノの子どもたちや教師たちが訪日し日本国内でのどのように防災活動が実施されているのか自ら体験してもらう機会があればと望んでいる。「私自身の経験談を語るのとは別に、彼ら自身が日本に行く機会があれば、全て自分たちの実体験になります。日本に行くことで刺激を受ける、その方がもっと良いでしょう」とサエズ氏は希望を語る。
さらに、タルカワノをレジリエンスの中心地にするという大きな夢を抱いている。度重なる災害を経験はしているにもかかわらず、チリは十分な備えが出来ていないというのがサエズ氏の見方だ。それを変えるために、記憶、経験、学習、提示、教育を行う防災を軸にした施設を作るという長期的な計画を掲げている。「その施設では、災害を生き延びた人たちの証言を大きく取り上げます。それらは被災したお年寄りからのメッセージです。彼らの人生は、レジリエンスに基づいています」とサエズ氏は抱負を語った。
渡辺氏をはじめ他のプロジェクトメンバーと共に遊びを取り入れた手法を通じて防災に取り生んだことで、サエズ氏はタルカワノの持つ将来の可能性を強く信じるようになった。「タルカワノはレジリエンスの中心地になれるでしょう。そうでしょ?必要な経験も知見も経験した人々もいるんですから」とサエズ氏は話した。
*本インタビューを行うにあたってチリへ赴いたトヨタ財団加賀と新出の取材活動の様子を「チリ取材記」としてまとめています。本インタビューでは紹介しきれなかったチリの魅力と現地の人との触れ合いなどを掲載しています。あわせてご覧ください。
