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JOINT35号 WEB特別版「存在給」が払える仕組みを

JOINT35号「存在給」が払える仕組みを

◉聞き手:武藤良太(トヨタ財団プログラムオフィサー)

長年にわたる障がい者の就労や自立に関わる取り組みを通じて、彼らや健常者を取り巻く現在の社会をどのように捉えているのか?─ご自身を“ネイティブ”な存在と感じとる且田久美氏に、『障⇔障継承プログラム』(2020年度社会コミュニケーションプログラムによる助成)の活動拠点「地域活動支援センターHARUKURU」でお話を伺いました。

※本ページの内容は広報誌『JOINT』に載せきれなかった情報を追加した拡大版です。


「存在給」が払える仕組みを

──新型コロナウイルスの影響もある状況下ですが、6月からのプロジェクトの進捗状況はいかがでしょうか。
助成期間中の中心的な取り組みである全国の働く障がい者の動画データを閲覧できるウェブサイトの作成は、概ね順調に進んでいます。デザインもほぼ整い、職種を「製造」「食品」「農業」「接客」「調理」「配達」「事務」「その他」に分け、そこに「男女」「年代」「障害の種別」といった区分も併せて設定して、撮影と編集が進んでいます。新型コロナの影響が撮影面では多少は出ていて、50名のうち関東近辺で依頼している方のところへ行けていませんが、40名程度は撮り終え、そこから編集をしている状態です。

世間的にはまだまだマイノリティな話かと思っていましたが、どこでご説明しても極めて反応が良いです。特に教育関係の方や就労支援に関わるカテゴリーの方々の反応がびっくりするほど良く、やはり教育の次のステップである就労の部分で皆さんもがかれていたのだなっていうことを改めて感じました。

──現状での課題や今後に向けて考えていらっしゃることはありますか?
動画編集やサイトのデザインよりも法律的な部分で考えなければいけないこと、詰めなければいけないことが多いです。たとえば、出演契約をどう結んでいくのか、個人情報をどう守っていくのか、それらをどういったルーティンでチェックしていくのか、利用事業者側とどのような契約書を交わすのかなど。後は料金設定ですね。ID毎にパスワードを付与しての管理契約が一番無難かなと思っていますが、事業所や施設の種別により閲覧者の母数が変わってくるので、それを同じ金額でいいのか、どのようにカテゴリー分けしていくのかなどについて専門家の方の意見を聴きながら、検討している段階です。

最初は、指定のタブレット端末で売るといったことも考えましたが、それではあまりにも裾野が広がっていかない可能性がある。また、最終的にはオンラインサロンに辿り着きたいですがコストの問題もあるので、まずはしっかりと個人情報を守りながら、1~2年先を見据えて進めていきたい。「やりたい!」「楽しそう!」で始まったはいいけど、行く行くのことを考えたら、今のうちに決めないといけないことが思った以上にあった、というところに苦心しているところですね。

常に50人の出演者に存在給が払える仕組みまで持って行くためには、付加価値を高めるコンテンツづくりなども展開しながら、まずは1万人の会員をめざしています。

──「存在給」という言葉が出てきましたが、障がい者の就労についての且田さんの考えや問題意識などを伺いたいのですが。
トヨタ財団の助成に絡めながらお話しすると、北海道芽室町でのプロジェクト(2014年度国内助成プログラムによる助成)から始まり、障がい者の働くということに特化して働く場所を増やしてきた、働くことを継続するために生活の場も整えた、そして現在は子どもたちが成長した時に働けるようになるための門戸を開いていく取り組みを進めています。けれど、いずれ働けなくなるときの話にはまだ至っていません。障がい者の雇用の現場は、彼らが一人工でいてくれるから一人工分のコストを払えますが、50~60歳になって重度化や高齢化が進んできたときに、彼らに存在給を払える企業がどの程度あるかまでは話が至っていないと思います。障害者自立支援法が障害者総合支援法に改正されて10年弱なので、現在、企業で働く障がい者の平均年齢は20~30代です。就業規則や労働基準法があり、60歳や65歳までの雇用契約を結んでいる企業が多いと思いますが、本当に65歳まで雇えるのでしょうか?

且田 久美(かつだ・くみ) ◉且田 久美(かつだ・くみ)
特定非営利活動法人プロジェクトめむろ 副理事長。2020年度・2016年度社会コミュニケーションプログラム、2014年度国内助成プログラム助成対象者

仮に50代で仕事の一線を退かなければならなくなった場合に、現状の選択肢は就労継続支援B型などの作業所しかないわけで、15万円の給与から1万円の工賃に転落するわけです。動画に映っている方たちの平均年齢は30代前半で、その方たちに15年後~20年後にもお給料を払い続けたい。福祉に転落するのを見たくない。彼らに存在給を払いたいと思ったときにできることとして、この仕組みしかないと考えています。現状では10万円の存在給の設定ですが、それでも印税的に収入が毎月あり、残された人生を心配せずに生きていけるような仕組みにしていきたいと思っています。

だから、早くある一定数の登録者を超えて、動画に映っている方たちに存在給としての給与を払ってあげられるようにすることが、この事業をどこから切っても文句の付けようのないものにする術だと思っていますが、そのためには中途半端な人数の会員数では実現出来ないのです。障がいがある人が働くことは限られた層の話だと思われていますが、もう人口の10%程度が障がい者の時代なので少数の話ではないですよね。日本には障がい者が約1,000万人いますから、サイトの会員が1万人でも1,000分の1で決して多い数値ではないです。それと、就労継続支援のB型事業所とA型事業所、生活介護の事業所利用者数を合わせたらその何十倍もあるわけで、その中で就労に大義名分を持ってミッションを与えられて取り組んでいるところも多数ある。そうやって考えていくと決して実現不可能な数ではないと捉えています。


──現状の福祉、たとえば制度や支援の現場に対して感じられていることもいろいろとあるのですね。
障がい者の就労に関して私がこれまでにいろいろな場面で繰り返し言われてきた、聞いてきたことの代表例として、年金があれば、保障があれば、福祉制度が整っていれば彼らは生きていけるといったことが挙げられますが、そこが勘違いだということを気づかないといけないわけですよ。これだけ手厚くお世話しているって、そうじゃないよね、それは何の救いにもなっていないことに気づくべきです。障がいがあるんだから、生まれたままで良いよ、無理しなくて良いよ、頑張らなくて良いよ、働かなくて良いよ、では結局は対等な人間としては見ていない。良い意味でも悪い意味でも気持ち的には寄り添おうとはしているけど、自分がもし障がい者だったらどうして欲しいのかというところが多分すっぽりと抜け落ちてる感じで、配慮という名の差別になっているのではと感じます。

プログラムチラシ

なので、この仕組み自体も賛否両論だと思いますよ。まだ時代が二分するかなという感じはします。障がい者を見世物にしているといった意見も出てくるでしょう。でも、良い意味で一石投じられればと思います。見世物にしてると言われたら、本人たちが見世物だと思っているかどうかを聞いてくれと返します。誇らしげに出演して、後世に、自分たちの後輩と言えるような障がいのある子どもたちに自分たちの働く姿を伝えたいと思って出演の了解を得ていて、本人たちは見世物とは思っていないわけですよね。でも、未だに見世物だという反論の声が多かったら、怒りの持って行き場がないですね。思ったよりも受け止められる時代になっていたんだと感じていたいですね、数か月後には。

それとは別に、コストの話を出すとそこにも拒否反応を示す人たちがいるわけです。仕組みを維持して、拡大して、さらに良いものにしていくためにはコストが必要なのに、それが会費という話になると結局お金儲けのことですかになってしまう。世の中のサービスが何でも無料だと思ったら大間違いだということが分かっていないから、障がい者に絡めてお金の話をしてはいけないという風潮がまだ残っている世の中ではありますね。

──壮大なスケールだと思いながら伺っていましたが、そう考えると現状から目標地まで繋がっている感じをとても受けます。障がい者の就労や自立に対する思いや考えもお話しいただきましたが、且田さんの熱量などはどこから生まれてきているのでしょうか。
自分ではそれほどの熱量を持っているつもりはないのですが、ルーツ的な話をすると、私は「コロニー」と言われる、その地域全体を開墾して職員も生徒も皆で住み込み、田畑を耕して暮らすといった障がい者の複合施設の中で生まれ育ちました。私の両親はそのコロニーで教師をしており、職場結婚し、私は14歳まで育っています。当時は、職員も教師も住み込みでしたが、社宅があるわけではなく、障がい者も先生もその子どもたちもごちゃ混ぜで暮らしていました。私が住んでいた部屋は、障がい者の寮の中にあり、隣に障がい者が寝ているし、ご飯も寮食でお盆を持って並んで一緒に食べる。そこに住んでいる障がいがある子たちは敷地内の学校に通い、私と弟は地域の学校に毎朝通うという生活だから、お正月もクリスマスもひな祭りも全部障がい者と一緒で、親も先生も分からなくなるような雑多の中で生活していました。

何百人の障がい者、しかも当時は最重度と言われるパニックがある子たちと一緒に生活をしてきているので、初めて大喧嘩をした相手も初めて愛の告白をされた相手も障がい者でした。また、自分が通っていた健常児の学校でも運動会があるけど、帰ってきたらコロニーの運動会にも出る。コロニーの行事でサイクリングに連れて行かれたり、競歩大会があったり、そういう中で育ってきたので、彼らが「障がい者」っていう感覚が未だに0です。もっと言えば、健常者ばかりのところでは息苦しい感じが未だにあります。彼らに囲まれている方が私のスタンダードと言うのか、DNA的にネイティブです。

高校に上がったときにそのコロニーを離れて、大学を卒業したら就職して、楽しくは生きてきたと思いますが、出産を機に福祉の仕事に戻ったときに驚くほど楽しかったんです。そのときは障がい福祉でずっと働くことは考えておらず、たまたま小さい子どもを抱えたシングルマザーで、仕事がしやすいことで生活の支援の仕事に入ったのですが、とにかく楽しかったというか、「あれ、私こっちだ」みたいな、息がしやすく、物事をスムーズに考えられる環境でした。

だから、彼らが障がい者っていう概念が元々なく、彼らが逞しいものだということを知ってるし、彼らが嘘をつくということも知ってるし、彼らが翼が折れたエンジェルでないということも知ってる。あまり「健常」と「障がい」の概念に垣根がないんですよね。そういうところで、ふっと福祉の仕事や障がい者に関わる仕事に携わったときに、良い意味でも悪い意味でも彼らが特別扱いされていることにジェラシーも感じました。何でこの子たちが逞しいって分からないんだろう、何でこんなに弱者扱いするんだろう、何で特別扱いしているんだろうという違和感が耐えられなかったです。

本当は強いし、逞しいし、自立も出来るし、もっと普通よ、垣根がない人たちなんだよ、っていうことを知って欲しくて、元々私が持っている違和感を説明したり実証したりしていったら、勝手に周りが評価してくれたり、注目してくれたり、いろいろな人が囲んでくれたりするようになって、私は自分の力で切り開いてきたというよりも、気づいたらここに来ていたという感じが強いです。それがベースにあるので、根本はきっと当事者寄りであるということだ思います。彼らにはなれないし、彼らを産んだこともないけど、健常者と呼ばれるカテゴリーの人たちの中では、日本の中でも恐らくトップレベルで彼らのことが代弁できる確信があります。母も父もスペシャリストですが、ネイティブではないですからね。私と弟は0歳からその環境で育ったネイティブだから、彼らのことを本当に訛りなく通訳ができると確信している感じです。

インタビュー時の様子

なので、彼らのことに取り組むことは自分自身のことをしているという感覚に近くて、彼らの世界の方が普通だと思ってしまうときがあります。彼らは、極めて人間関係を作るのが上手いし、忘れるのが上手い。切り替えも早い、悩まない、ごめんと言ったら終わり、ありがとうと言ったら構築ができる。今の健常者の世界は特に複雑でしょう。その中を就職で一瞬垣間見たわけです。それでこちらの世界をもう1回見たときに、あの14年間がどれだけ普通だったかっていうところに立ち戻れた。皆にその普通を知って欲しいですね。そんなに難しいことではなく、もっと生きやすくなるし、1+1が2だっていう感覚が分かる組織や関係性が作れるはずです。私はそれを強制するので、スタッフたちには暑苦しいと思われていると思います。

健常者ばかりの世界で働き続けている人はしんどいと思います。いろいろ楽しいこともあるだろうけど、本音で物が言えないとか、いきなり大声で笑ったり怒ったりができないところで働いている人は偉いなと。「健常障がい」という障がいになっていますよね。健常者が一番障がいが重い。「自分たちは健常者なんだ」っていう障がい。自分たちは当たり前に普通に生きていかなくちゃいけない、常識的に言いたいことも我慢して、親切になって支えて、それでは偽善も良いところですよね。彼らは絶対にそうはしない。嫌なものは嫌だって言う。だけど、どれだけ喧嘩をしてもごめんねって言ったらもう切り替わるっていう、そうやって皆が生きていけばいいのにねってところがベースにあります。

──障がい者との関係性や有している視点で、且田さんは先天的ですが、私のように後天的な存在であっても、乗り越えられるものはたくさんあると思うのですが。
本当にそう思います。「健常者だから」という思い込みでしょうか。何をもって障がいと言うのかを考えたときに、健常者の中に生きづらい人がこれだけ多いのは、彼らの方がもっとシンプルに生きているからだと思います。嫌なものは嫌、良いもの良い、ごめんはごめんで済めば良いよねと言いたい。だから、彼らの天真爛漫さとか根拠のない自信に救われる人はたくさんいると思います。私の会社で働いている障がい者は、皆が自分がいなければこの会社は潰れると思っていますから。羨ましいですよね、そこまで自分に自信があることは。

根拠のない確信や自己肯定感などを見習うべきじゃないかと思います。この動画に映っている方々は、一次作業で、観る方によっては社会の末端の仕事と捉えるかもしれません。けれど、50人が50人誇らしげです。どういった仕事も誇らしげにできる強さ、そう思い込めて、誰かと比較しないという強さに気づくきっかけに、このプログラムがなればいいなと思っています。

公益財団法人トヨタ財団 広報誌JOINT No.35掲載(加筆web版)
発行日:2021年1月22日

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