研究助成
contribution
寄稿
著者 ◉ 松山聖央(岡山県立大学デザイン学部 准教授)
- [プログラム]
- 2021年度 研究助成プログラム
- [助成題目]
- ヒトとモノの承認関係を手がかりとする「自宅」環境の包括的研究─環境美学、建築・都市計画論、芸術実践の融合的アプローチから
- [代表者]
- 松山聖央(岡山県立大学デザイン学部 准教授)
ヒトとモノの「つながり」としての承認をめぐって
「承認」概念の拡張
「承認」という概念は、現代社会においてますます重要になってきています。多文化、ジェンダー、格差などの課題の中心には、社会や集団のなかで個としての人間が存在することをいかにしてみとめるかという問いが横たわっています。人間どうしの関係を考えるにあたって欠かせないこの「承認」を、人間と自然、さらには人間と事物一般、すなわちヒトとモノの関係にまで拡張してとらえ直してみようという試みが本研究の目指すところです。
もしかすると、「つながり」というキーワードから「ヒトとモノ」の関係を連想するのは唐突に聞こえるかもしれません。しかし、約4年前、未知のウイルスによって「ヒトとヒト」との関係が絶たれ、外出すらままならなくなったとき、私たちに残されたのは「自宅」という最小限の空間とそこにあるモノたちとの関係でした。それは、コロナ禍という特殊な状況において前景化した関係ではあったものの、それ以前から、そして今後も、私たちの生の基点となり終着点にもなる環境/関係であり、モノとのよりよい「つながり」は個々人の生の質を向上させると考えられます。
非人間的な存在を承認することは可能か?
こうした発想のヒントになったのは、ドイツの美学者マルティン・ゼール(1954〜)が提唱する「美的承認」という概念です。ゼールによれば、たとえば花や木々、小川や小石といった自然物と私たちのあいだには、お互いにその存在をみとめ合う「相互承認」は成立しません。なぜなら、そうした事物は人間と同等の人格をもたないからです。
しかし、人間が一方向的にそれらをただそこに存在しているままに受け取ること、つまり「いま・ここ」という瞬間において現象するその色やかたち、音、香り、あるいは感触を、何かほかの目的のためではなく、それ自体のために感じとることは可能であり、ゼールはそれを「美的承認」と呼びます。では、相手が人工物、なかでも日々自宅のなかで接する生活用品ならばどうか? 所有者・使用者とそれに従属し使役するモノという、従来の道具的関係が変化することはありうるか?あるとすればそれはどのような関係か? ─こうした問いに、環境美学と建築・都市計画論を専門とするチームでの思想研究や事例研究と、アーティストや古道具屋といった芸術領域の実践者との協働を両輪として取り組んできました。
学術的にも、近年、制作者や設計者の側に立った作品論・様式論ではなく、行為者や使用者の観点による議論が活性化するとともに、身近な環境や経験を考える際、研究者自らが当事者として現象学的な記述から出発することが不可欠と考えられています。本研究はそうした最新の動向とも呼応する特徴を有していると言えるでしょう。
二つの展覧会─ひとつのゴールとして、新たな出発点として
本研究では、純粋に哲学的な文献研究や、データの収集・分析による実証的手法ではなく、芸術実践者や一般の生活者とのコラボをつうじて、いわば発見的に「ヒトとモノ」の承認関係を探る手法を選択しました。その一環として、学会発表や論文だけではなく、展覧会というかたちでの成果発表を行いました。
当初より予定していたのが、2023年9月に実施した「zu Hause 自宅と承認」展です。ここでは、プロジェクト期間のなかでワークショップを実施したふなだかよさんと松井沙都子さんに加え、岸裕真さんと民佐穂さんという4人のアーティスト、さらに古道具屋itou店主の伊藤槙吾さんの5名による作品やインスタレーションを紹介しました。たとえばふなださんによる写真の《fall》シリーズでは、娘の乳児期に使用した育児グッズが主題化され、道具としての役目を終えたモノに、私たちがそれでも抱かずにはいられない感情があることに気づかされます。カタログの論考にて研究メンバーの青田麻未が論じたように、モノはそれをつうじて関わった誰かへの「愛」の具現化でもあり、展覧会に先駆けて開催したワークショップの参加者とのディスカッションでも、そうした経験を共有することができました。
もうひとつ、スピンオフのようなかたちで実現したのが、2023年5〜7月に実施した「モノの棲み家、ヒトの棲み家─中田静さんの自宅より」展です。9月の成果展の会場選定の途上で、私の所属先である武庫川女子大学附属総合ミュージアムの所蔵資料に出遭ったことから、ミュージアムとの共同企画が立ち上がりました。昭和から平成の時代にかけて、大阪の長屋に暮らした中田静さんというひとりの女性が残した生活用品を、亡くなったときの状態ほぼそのままに受け入れたというこのユニークなコレクションは、時代背景を知る貴重な資料であるだけではなく、蒐集とアーカイブ、剰余や不要、記憶や家族といった切り口で自宅におけるヒトとモノの関係を語る恰好の事例であったといえます。
アーティストによる試みや静さんの生活スタイルは、たしかにある個別の特殊なケースであり、統計的に普遍化し、あるいは多くの人にとって有用な指針としてただちに社会実装できるようなタイプの知識や方法ではありません。またこれらの展覧会は、研究メンバーである私たちにとっても、これまでの活動の、あくまでも暫定的なゴールです。しかしそれは同時に、従来の学術的な方法論では辿り着けなかった発想や、来場者の反応や対話を契機として、新たな問題意識や関心に取り組むための出発点でもあります。現在(2024年2月時点)編集中の展覧会カタログで成果を総括するとともに、研究活動のさらなる展開を図っていきたいと思います。
公益財団法人トヨタ財団 広報誌JOINT No. 45掲載
発行日:2024年4月12日