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助成から10年の今と未来

モバイルミュージアムで地方の教育機会を創出し、ジェンダーなどの多様性の要素も加える

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モバイルミュージアムで地方の教育機会を創出し、ジェンダーなどの多様性の要素も加える
モバイルミュージアムで地方の教育機会を創出し、ジェンダーなどの多様性の要素も加える
モバイルミュージアム・ボックスの展示キット

フィリピンは7,000以上の島々からなり、2つの公用語(フィリピノ語、英語)と80前後の地域言語があると言われる多様性豊かな社会だ。その一方で、日本と同様に都市部と地方におけるさまざまな格差は広がっており、その1つに教育格差の拡大も含まれる。2014年度、トヨタ財団は「フィリピンの次世代教育における博物館の活用可能性に関する研究 ―移動型展示による教育機会の地域間不均衡解消と地方固有の自然・文化遺産の継承者育成に向けて」というプロジェクトに対する助成を行ったが、実際、どういった研究がされ、問題解決が行われたのか? 東京大学総合研究博物館の寺田鮎美特任准教授に語ってもらった。

インタビュアー ◉ 寺崎陽子(トヨタ財団プログラムオフィサー)

[プログラム]
2014年度 研究助成プログラム
[助成題目]
フィリピンの次世代教育における博物館の活用可能性に関する研究 ―移動型展示による教育機会の地域間不均衡解消と地方固有の自然・文化遺産の継承者育成に向けてこのリンクは別ウィンドウで開きます
[代表者]
寺田鮎美(東京大学総合研究博物館 )

モバイルミュージアムで地方の教育機会を創出し、ジェンダーなどの多様性の要素も加える

簡単に移動博物館が実現できるようにする

博物館は建物である以上、動けない。展示物を見たければ自ら足を運ぶのが常道だが、北海道の人が沖縄の博物館に行くのは大変というように、距離が離れれば離れるほど簡単なことではない。別な形では、「モナリザ」のような芸術作品を日本の博物館や美術館で特別展示するケースもあるが、主催者が開催のために費やす費用と労力が大きいのは言うまでもない。都市部に住んでいればまだこういったものに触れる機会があることを考慮すると、地方に住んでいる市民は明らかに不利益を被っている。それが島国で移動が大変なフィリピンならなおさらだ。

地方に住んでいる人たちに博物館を身近な存在にすることを目指し、東京大学総合研究博物館が取り組む「モバイルミュージアム」プロジェクトの一環として、同博物館の寺田鮎美特任准教授は、展示コンテンツを最初からコンパクトにパッケージ化し、自由に移動し、簡単に展示できるようにしたいと考えた。これにより、博物館は、教育機会の地域間不均衡の解消と地方固有の自然・文化遺産の継承者育成が可能となる。

こうした発想を具体的な形に落とし込むため、寺田准教授は、箱の中に標本などを展示できる「モバイルミュージアム・ボックス」と名づけた展示キットを開発した。基本的に箱の蓋を開ければ、学校、企業、公共施設、住宅など、どこでも展示ができるという優れもの。つまり、「移動博物館」がそこにできあがるのだ。

協働の中で生まれたモバイルミュージアム

寺田鮎美
寺田鮎美特任准教授

寺田准教授の今回のプロジェクトでは、博物館が少ないにもかかわらず、フィリピン国内で自然の多様性に富み、固有の動植物が生息しているフィリピン諸島南端に位置するミンダナオを対象にした。「ミンダナオの自然誌の多様性」をテーマに、この地方特有の自然遺産を展示することで、博物館が提供しうる「ものを通じた教育機会」によって、それらについて自らの言葉で語ることのできる次世代の継承者育成に寄与しようとするものだ。

「コンセプト、プロセス、会場の作り方など、私のスケッチを通じて、こんな風に博物館を作りたい、展示内容はこんな風に考えた…というのを一つひとつ、現地の共同研究者や協力者に伝え、丁寧に共有していきました」

モバイルミュージアムは、実際に現地で展開し、人々に立ち寄ってもらわなければ意味をなさない。「展示キットの機動性を高めるために、大型のテーブルは組み込まず、現地調達にしました。また、展示空間を少し特別なしつらえにしないと、みんな素通りしてしまうので、布やクリップランプなどをつかって博物館らしい雰囲気を演出するといったアイデアも全部書きだしました」

製作した「モバイルミュージアム・ボックス」は、セットを組み替え可能にするため箱型にし、単体でも複数でも活用できるように柔軟性を持たせた。合計10個の箱は木で作られたため、ぬくもり感がある大きな玉手箱のようだ。箱をあけると下側は青い布の上にミンダナオ固有の動植物や自然に関する展示物が並び、上蓋には情報パネルが組み込まれている。「現地で製作することにこだわった箱は、サイズや素材にフィリピン産の木材を使いたいという希望は叶ったのですが、“モバイル”というコンセプトが伝わりすぎていて、作業を進めてくれた現地の協力者によってスーツケースについている実用的な取っ手が箱につけられたりしました。私はもう少し装飾的なデザインをイメージしていたのに」と苦笑い。ボックスの製作も大変だったが、密なコミュニケーションを図りながら理想に近づけていった。

実際にモバイルミュージアム・ボックスで標本や模型をみた学生に好評だった。「みんな写真を撮っていました。10年前位は博物館で写真を撮るのは……特に日本ではあまり一般的ではなかったと思いますが、本当に多くの学生が撮影していましたね。興味を持つとこういう形で行動に現れるんだ! というのは、すごく印象的でした」

「記録し、伝える」ことの力

展示する内容については「私は文系出身ですが、フィリピン側のメンバーは植物学と動物学の専門家でした。実物の標本は、東京大学に保管していた標本の中から持ちこんだものと、フィリピン国立博物館から提供してもらったものです。展示が実現し、その成果を報告書兼カタログという形で記録として残せた意義は非常に大きいと考えます……財団の助成のおかげで、展示のプランニングから公開までの記録をまとめることができたのは本当にありがたいことでした」。

その後、モバイルミュージアムの話がさらに広がっていくときに、相手に対して「こういうのをやってきました」と具体的に示しながら説明できるのは大きな利点だという。

また、寺田准教授個人としても、このプロジェクトを通じて成長できたことを実感しているという。「初めてプロジェクトリーダーとして全てに責任を持つ立場だったのですが、本当に多くのことを学び、大きな経験となりました。日本が支援するとどうしても『やってあげる』という構図になりがちです。しかし今回は、日本でモノを作って会場に運ぶのではなく、現地の人々とともに作り上げる方法を選びました。デザイン面では同僚のデザインの先生に一部協力してもらいましたが、ボックスの製作自体は、現地のデザイナーや協力者とともにフィリピンで行いました」と語る。

モバイルミュージアム・ボックス
左:ミンダナオ国立大学イリガン校理数学部ロビーでの展示(2016年1月18日〜29日)。右:セイヴィアー大学科学センターロビーでの展示(2016年2月2日〜6日。※13日まで会期延長)

現地ではモバイルミュージアム・ボックスが広がりを見せ始めている

助成期間中にモバイルミュージアム・ボックスを公開するにあたり、実際の運営方法や来場者の反応も記録していた。「そのあとは、どんどん真似してくださいっていう感じでしたね」と振り返る。製作されたモバイルミュージアム・ボックスは、現在もミンダナオ島内で10個一式として稼働中で、これまでに15カ所で「モバイルミュージアム」が開催された。「そういう風に使ってほしいと思っていたことが、ほとんどそのまま、理想的に実現しています。ボックスは、現地のプロジェクトメンバーが定期的にメンテナンスをしているので、本当に壊れるまで使ってもらえば…」と話す姿はうれしそうだ。

「モバイルミュージアム・ボックス」は、その後さらに広まりを見せている。フィリピン国立博物館は、フィリピン森林財団から助成してもらい、新規のモバイルミュージアム・ボックスをビサヤ地方で作ったという。「こんな風に展開していったことは、すごくありがたいです」

現在は、どういう形でボックスが活用されているのか?「いくつかパターンがありますが、大学の場合は、新入生が入ってくる時期に、教育的なコンテンツとして地域の自然に興味を持ってほしいという思いから、展示の開催依頼があったりするようです」

10年以上の時を経て東京での展開へ

特別展示『植物顔 – 日本・フィリピンの草木花実写真』
特別展示『植物顔 – 日本・フィリピンの草木花実写真』

東京駅前の「KITTE」内にあるJPタワー学術文化総合ミュージアム「インターメディアテク」では、2025年から7月12日から同年11月9日まで、特別展示『植物顔 – 日本・フィリピンの草木花実写真』が開催された。

これは、フィリピン人写真家ジャン・マヨがフィリピンと日本の在来植物をテーマに、人間の顔と植物のかたちを重ね合わせて撮影した。その作品を展示し鑑賞してもらうことで、植物の多様性と人との関わりを一般の人々に広く知ってもらおうという試みだ。会場では、科学的ツールである植物標本もマヨの作品にと一緒に展示された。

本展は、東京大学総合研究博物館とフィリピン国立博物館が2013年に初めて交わした学術協定に基づく長年の交流の延長線上にあり、フィリピンで展開された「モバイルミュージアム・ボックス」プロジェクトの経験を礎に実現した。つまり、助成をきっかけに10年以上の時を経て、東京での新たな協働プロジェクトに発展したことになる。

「身を置いている場所が大学博物館なので、社会における博物館の存在意義を考えた場合、モバイルミュージアム・ボックスをやっていた時からそうですが、楽しければ良いというだけでなく、教育的な貢献ができているかどうかを常に意識しています。研究の視点がある展覧会を作り、博物館活動として社会に還元することは、これからも変わらず重要だと思っています」と継続することの意義を語った。

ジェンダーの視点を取り入れた展示へ

寺田准教授によると『植物顔』を通じてジェンダーやアイデンティティの問題などにも話が広がったことに意義を感じている。「今回の『植物顔』で実現できたのは、ジェンダーの問題やアイデンティティの多様性をしっかりと組み込めたところ。そこに手応えを感じています」

こうした意識の背景には、フィリピンでモバイルミュージアムを実施した経験がある。フィリピンではさまざまな文化や宗教が重層的に交わる社会の中で展示を行う難しさがあり、それがジェンダーや多様性への関心を深めるきっかけの一つになった。特に日本の博物館においては、これまで視覚的なインパクトが重視する傾向が強く、社会的な視点が後回しにされがちだったのではないかという。「大学博物館だからこそ、ジェンダーや多様性の問題については必ず包摂しなければいけないところだと思うのです。私は少しずつその問題意識を外に出せるよう、自分が企画に関わる展示では意識的に取り入れています。例えば、図録や書籍を編集する時は、執筆者の男女のバランスにも配慮してきましたが、最近、ようやく注目される機会が出てきました。この問題意識を、特別ではなく当たり前にみんなが共有できるようしていくのは、大きな課題として感じています」

寺田准教授は、もしジェンダーが偏った展示がされると、時によっては強いメッセージとして相手に伝わる場合があり得ることから、そこへの配慮は今の社会においては必ず意識するべきだと強調した。「それが特別ではないことになるために、少しずつ小さな努力をしていかなくてはいけないと思っています」。その考えを反映し、『植物顔』では女性モデルだけではなく男性モデルも登場する作品を展示し、来館者が多様な表現に接することができるようにした。

ただし、ジェンダーそのものをテーマにした展示をたくさんやった方がいいということではないとも語る。「『植物顔』も、そういう意図が一番上にあったわけではないのです。今回の展示の趣旨としては、アートとサイエンスをつないで、現代的な写真表現を通じて、植物の形態の美しさと標本を対比させ、在来植物への理解を深めてほしいというのが、一番重要だからです」

これらを踏まえた博物館の在り方について聞くと「一般論として、博物館は古いものを扱っているので、古いものを大事にする気持ちや精神は次世代にも引き継いでいかなければいけません。しかし、それには今の価値観と矛盾する部分もあります。たとえば、東京大学のかつての教授たちの肖像画や彫刻は男性ばかりですが、それを大事なもの……という感覚だけで行くと、女性の不在という事実は、今のジェンダー意識から見ると問題もあります。とはいえ、それを展示しない、もう必要ではないという話でもないので、どう折り合いをつけていくかです」

その視点から、これまで見過ごされがちだった女性の研究者や標本採集者に、意識的に光を当ててきた。「かつては、研究成果が発表される際、男性教授など限られた立場の人の名前だけが表に出るのが一般的でした。しかし実際には、多くの人々の協働によって研究は成り立ってきました。そうした背景のもとで、記録の中に埋もれた女性の研究者や標本採集者にも注目し、展示の中で紹介するようにしています」

その一例が、山村八重子(1899-1996)という博物学者だ。彼女は父と一緒に1925-26年にフィリピン南東部のバシラン島に滞在し、鳥、魚、虫、貝、サンゴなど、多くの生物標本を採集した。その数はトランク70個分にのぼると言われているが、このように戦前から女性も博物学の現場で活躍していた事実に光を当てることで、歴史の中に埋もれた多様な声を掘り起こそうとしている。

特別展示『植物顔 – 日本・フィリピンの草木花実写真』
特別展示『植物顔 – 日本・フィリピンの草木花実写真』

さまざまな地域での『植物顔』を行いたい

成果の一部
右は成果の一部の報告書兼カタログ。左はビサヤ版の出版物

寺田准教授にこの仕事を始めたきっかけを聞いた。「子どもの頃、両親に連れられて美術館に行くことが多かったんです。それで美術に興味を持つようになりました。大学進学の時も、美術史が学べる大学に行きたいなと漠然と思っていて、その流れから学芸員という仕事に興味を持ちました。その後、いろいろ学んでいるうちに、作品論よりもなぜ美術があるのかという芸術学的な問いに関心が移っていきました。そこから、美術やさまざまなものを展示として見せる場や制度として、博物館に関心を深めることになりました」

今はその関心がさらに広がり、展示の企画をするのが楽しいと言う。「とてもやりがいを感じています。以前の私は、美術作品の分析的な研究にはあまり向かわなかったのですが、今はさまざまな博物館資料に対してその仕事をやらないと展示のプロジェクトができないので、資料を丁寧に見て、さらに調査を重ねるようになりました」

展示作りのプロセスは、音楽の制作にも似ている。曲作りにおいて、詩が先か、メロディーが先かという話があるように、「展示を考えるときに、何らかの物が先にあって、そこからコンセプトを付け足すケースと、先にコンセプトがあって、それに関連する資料を探していくケースの両方があります」

今後の展望としては、『植物顔』での経験を踏まえ、ほかの地域でも同様の展示を構想している。「予算や機会が整えば、ほかの地域でもこうした展示を展開していきたいと考えています。最近関わった別の展示では台湾との協働もあり、既につながりができていますので、台湾版の『植物顔』というのは具体的な案の一つです。各地域の自然や文化に根ざしたテーマを通して、人と植物の関わりや多様な表現を探っていけたらと思います」

ダイバーシティを地でいく

インターメディアテクで開催された『植物顔』で展示の根底にあるのは、博物館を通じて、もっとたくさんの人に「何かを知ってもらいたい」という強い願いだ。その手段が写真というアートだった。

展示を通じて、知識を広げ、教育機会の不均衡の解消のみならず、ジェンダーや文化、多様性といった要素を加えることで、より奥深い表現に昇華させていく。寺田准教授は「私は文系」と話していたが、企画を推進するとき、自然科学を専門にする人だけではこの考え方は難しかったかもしれない。つまり、写真家を含め多彩な背景を持つ人が携わったからこそ、新しい発想が生まれ、実現した。まさにダイバーシティがなしえたものだろう。この発想が継続すれば、教育機会の弱者にも、より深みのある教育機会をさらに創造していけるはずだ。

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