公益財団法人トヨタ財団

  • 国内助成プログラム

2026年度国内助成プ­ログラム ­選後評

選考委員長 牧野 篤
大正大学地域創生学部地域創生学科 教授

選考経過

トヨタ財団2026年度国内助成プログラムは、昨年度に引き続き「新常態における新たな着想に基づく自治型社会の推進」をテーマに、2つのカテゴリーにおいて公募を行った。そのカテゴリーとは、「1)日本における自治型社会の一層の推進に寄与するシステムの創出と人材の育成」(以下、「1)日本の枠組み」と記す)と、「2)地域における自治を推進するための基盤づくり」(以下、「2)地域の枠組み」と記す)である。

前者には39件、後者には258件、総数297件の応募があり、昨年度の応募数が前者は35件、後者は154件、総数189件であったのに対して、総数で108件、約6割の増加であった。本プログラムに対する社会的認知の拡がりを示していると同時に、後述するように生成AIの普及によって、企画書作成が効率化され、かつ標準化された結果、企画書作成のハードルが下がったことが応募数急増の要因としてあると考えてよいであろう。すべての応募案件については、事務局のプログラムオフィサーがその要件の過不足や書式の不備などを確認した上で、予備選考を行い、さらに当選考委員会における選考を実施した。

当選考委員会は委員長はじめ5名の専門家から構成され、大学で社会学・まちづくり・住民自治などにかんする教鞭を執りつつ、社会的な実践を行っている委員のほか、地域づくりにかかわる企業の代表者であり、市民の社会実践への伴走支援に取り組んでいる委員など、自治型社会の形成に造詣の深い委員が参画した。選考は、予備選考を通過した審査対象案件に対して、次のように実施した。まず、企画書による事前審査においてそれぞれの委員が推薦案件を選び、それらを事務局が集計し、その後、集計結果をもとにして、「1)日本の枠組み」は対象案件によるプレゼンテーションを含めた選考を、「2)地域の枠組み」は企画書の書面審査の結果をもとにした選考を、選考委員の合議のもとで行った。

その結果、「1)日本の枠組み」については4件、「2)地域の枠組み」については8件を採択し、総額9520万円を助成することとした。

総評

わかりあえない他者とともに生きる「かかわり」「つながり」の技術としての自治と「かかわり」「つながり」の在り方としての自治型社会——今年度の国内助成プログラム応募企画の選考に携わる過程で、その内容全体について抱いた印象である。「技術としての自治」というのは、本選後評の標題にもあるように、「かかわり」「つながり」が、生成AIの活用によって極めて明確な言語化と形式知化という型で示されているように思われるからである。

このような特徴を持つ今年度の応募企画の背後には、日本の草の根社会の底が抜け始めているという、曖昧でありながら確かな実感をともなう不安とでもいうべき感覚が存在しているように見える。それはまた、私たちの日常生活を取り巻く環境、とくに社会の在り方が大きく変容していることを示している。それはたとえば、以下のようなものである。本選後評執筆のその最中にも報道されている大雨による災害や地震の被害など、頻発する激甚災害による被害拡大の現実。いざなみ越えといわれるほどの長期の経済成長がいわれつつも、それが日常生活に還元されず、生活が苦しくなる実感ばかりが重くのしかかっている現実。しかも、貧富の格差が拡大し、とくに子どもの貧困状況が深刻さの度合いを深めている現実。少子高齢化人口減少という人口構造の変容にともなう旧来の社会組織の疲弊や地域社会の担い手不足など日常の生活圏が動揺している現実。戦争が現実世界で起こり、その現場がSNS等を通して直接掌に飛び込んできて、気持ちを揺さぶられる現実。そして、私たち一人ひとりの責任ではないと感じられるこれら現実社会の変容によって、生活が脅かされ、その結果を自分の日常生活の足下で引き受けなければならなくなっているという理不尽な感覚。そこにはまた、すでに40年ほどもこの社会が私たちに強要している、自己責任というある種の規範が存在し、私たち自身が自分のおかれた境遇の理不尽さをそのまま引き受けなければならないと強迫されている現実がある。

その結果、人々は保身に走り、いきおい他責的、他罰的になり、敵味方を截然と分け、自己の〈正しさ〉を主張しつつ、敵と見做した人々にぶつけあう、〈正義〉の言葉の殴りあいがなされることとなる。SNSなどによる誹謗中傷合戦の様相にそれは端的に示されているのではないだろうか。そしてさらにそれを煽るかのような政治的な言動が存在する。こうして人々は、自らを守るために、一層、声の大きな存在にすがり、間違っていると見做した相手を叩くようになる。しかも、そのような言動に疲れ切っているのに、他者から批判され、言葉で殴られないように予防線を張るためにも、先手を打って他者を攻撃せざるを得ず、それはおかしいと感じつつも、自分ひとりではどうしようもなく、孤立感を抱えたまま、途方に暮れる感覚に苛まれている。これが私たちの日常の姿ではないだろうか。

このような社会は、人々の孤立と対立のうちに、私たちの日常生活を支えている相互扶助の関係とそれを支えている他者への配慮を毀損して、草の根社会の底抜けを招いてしまう。こうした社会状況に対して、改めて人々の「かかわり」「つながり」をつくり、相互に支えあう作法や仕組みをつくらなければ、私たちの日常生活そのものが壊れてしまう、この危機意識の表れが、今年度の国内助成プログラムへの応募企画に見られるといってよい。ここに、本プログラムにいう「新常態」とは、コロナ禍を経て人々が孤立し、社会が分断の危機にあるということだけではなく、そのような状況がより深刻化した社会において、人々の日常生活を支えるべき草の根社会の底抜けが始まっているかのような事態を指すものへと解釈しなおされているといえるように思われる。そして今年度の応募企画からは、このような事態に直面して、各地の草の根の社会で、それを弥縫し、「かかわり」「つながり」を復旧するのではなく、新たに創造しようとする営みが多彩になされ始めていることを見てとることができる。それはまた「新たな着想」が、2025年度の選後評で指摘した分散して多重レイヤー化する「場」のさらに深いところにある人と人との「かかわり」「つながり」の作法としての自治やその在り方としての自治型社会へと、考察の射程をひろげてきていることを意味しているととらえられる。

このことはたとえば、応募企画において自治の単位を柔軟に組み換えて、既存のいわゆる自治体を基盤とした団体自治や住民自治という枠組みではなく、大きくは自治体を超えた海域や流域の自治から、より日常生活に密着した範囲の関心やテーマにもとづくコミュニティまでさまざまな自治の単位、さらには単位というような概念からも自由になり、「かかわり」「つながり」など、さまざまな自治のありようが提案され、その基盤を人と人との関係の在り方、とくに相互の承認にもとづく受容関係におき、その上で改めて自治を構想しようとする企画が多かったことなどに示されている。しかも、自治が経済的な自立・自律とのかかわりで論じられる提案も多く、自治の担い手の機能的な在り方も多様化している。さらに、人々の相互承認と受容の関係も、社会課題をとらえて、価値を共有することで生み出される関係から、人々の好奇心を意図せぬ形で誘発しつつ、それを「かかわり」「つながり」へと展開する過程で生まれる関係ととらえ、その仕組みをつくろうとするなど、私たちが社会という関係の中にあって、日常生活を送っているという事実を、改めてとらえ返そうとするものであるところに、今年度の応募企画の特徴があるといってよい。

このことは、私たちが本来もっているセンス・オブ・ワンダーという力を、その発揮を抑圧している関係を組み換えつつ、誘発して、〈正しさ〉の応酬を「楽しさ」の贈与・交換(交歓)の関係へと組み換えようとする試みであるといってよいであろう。

さらに、このような「楽しさ」の贈与・交換(交歓)の「かかわり」「つながり」は、いわゆる空間的な関係だけでなく、時間軸におけるそれへと展開していく。この時間軸は二つの内容をもつものである。一つは同一空間における世代間という時間軸の交流・交歓による「かかわり」「つながり」の創出であり、もう一つはいわば過去・現在・未来という時間の流れにおいて事業を継承し、また組み換え、発展させようとする「かかわり」「つながり」の創出である。このことは、多くの応募企画が自治の作法の暗黙知を言語化、見える化して、形式知化し、さまざまなステイクホルダー間で共有し、伝達し、継承できるものにする提案を行っていることに見ることができる。そして、これらの「かかわり」「つながり」の創出や継承・組み換えにおいて重視されるのが、ステイクホルダー間の非対称性の解消である。可能な限り対等な関係を生み出し、当事者性を共有しつつ、事業を展開するプラットフォームなどの仕組みづくりが志向されるのである。

こうして、「自治型社会」が、草の根の社会における「場」や関係など多様な取り組みの形成とその連携によって彩られるにぎやかな「かかわり」「つながり」の時空間として描かれることとなる。今年度の応募企画からは、このような「自治型社会」のイメージを得ることができる。そしてそれは、2025年度の選後評で指摘した近代産業社会モデルの行き詰まりを、草の根社会の人々の日常生活の地平から組み換え、新たな生活様式へと再創造することへとつながっているように思われる。

しかし反面で、既述のように生成AIが普及し、応募企画の作成にも活用されることで、いくつかの懸念点も明らかになったように考えられる。それは、端的には「言語化の罠」とでも呼べるものである。企画書作成に当たって、今年度は、明らかに生成AIを活用したと思われる応募が多数存在している。このことについて、選考過程で浮かび上がってきたのは、以下の懸念点である。

第一に、企画書そのものが論理的に整然としており、読みやすいものが増えた反面で、よい意味での「癖」、いいかえれば「味」がなくなっているということである。つまり、企画者の社会認識やその認識にもとづく企画立案、そしてその提案書への論理構築、さらに社会実装の在り方などについての苦悩や気持ちの揺れ、そして歓びなど、いわば言語化できないものが削ぎ落とされ、企画提案の文書が極めて平板で、個性のない、文体だけを見れば、どの企画書もほとんど同じように読めてしまうものとなっており、いうなれば選考委員泣かせの企画書が多くあったということである。これが第一の「言語化の罠」である。企画書自体が、平易になり、標準化されることで、個性を失った、ということであり、企画者が何に最も強い関心を抱き、ある種の執着をもっているのかが見えにくくなったということである。

第二に、この「言語化の罠」は文体だけでなく、企画そのものにおいても起こっているということである。多くの企画書の論理が似通っており、それは企画者自らが対象化し、課題化する社会への強い関心にもとづいて論理構成を行ったというよりも、「誰か」の論理を持ってきて、企画書用に適用したものであるかのような印象を抱かせるものであった。このことは、このような論理構成で、社会実装に向けた実践を組織するときに、本当にその企画が草の根社会の日常生活を生きる人々に対して、当事者性をともなったアプローチを行うことができるのかという危惧を招かざるを得ないものである。

第三に、さらにこの「言語化の罠」は、企画自体の内容にも影響を与えているということである。既述の時空間の「かかわり」「つながり」の創出と継承・展開において、多くの企画提案が、暗黙知の言語化・見える化による形式知化を提起しているが、「言語化の罠」の本来の意味、つまりわかりやすさがもたらすわかりにくさについて多くの企画書が自覚的ではないように見える。いいかえれば、言語化することによって暗黙知の持っていた感情や感覚、思いなどの豊かさが削ぎ落とされ、他者に言語でわかるわかりやすいものへと解釈し直されて、書き換えられてしまい、企画者がとらえた社会の課題や特徴が一般化されることで、その企画がもたらす社会の変容や目指す結果が、極めて個性のないものとなってしまい、一体何をしようと提案しているのかが伝わらなくなってしまうということである。

これらのことは、既述のように多彩な取り組み提案が表層でなされながらも、それらのより深いところにある人間観や社会観において標準化とでもいうべき力が働き、その標準化が当事者である人々を一般化し、形式化する枠づけを行いかねない危険があるのに対して、多くの企画提案が自覚的ではないようであったことを物語っている。

「言語化の罠」は、たとえば社会調査におけるインタビューや心理学などのナラティブ・アプローチ、さらには哲学的な記憶の継承や想起の議論においても、つねに意識されざるを得ない課題であるといってよい。インタビューはいくら慎重に設計されたものであっても、インタビュアーとインタビュイーとの関係において、インタビュイーの言葉は常にインタビュアーの問いかけへの応答でありかつそれの反照であるという性格を免れることはできない。つまりインタビュイーの言葉は、その人(の意見)そのものを語っているのではなく、その時のインタビュアーとの関係における自己(の意見)を語っているのであり、それは常に他者を含み込んだ関係の在り方として表出されるものとしてある。しかもそれが言語であることによって、インタビュイーがおかれたインタビュアーとの関係において生じる感情や思いなど暗黙知に属するものが、インタビュアーにわかりやすい言葉として表出つまり一般化されることで、その感情や思いのいわば厚みのようなものが削られてしまい、その人の存在の豊かさを、わかりやすさを代償に削ぎ落としてしまう。その結果、わかりやすいはずの言語が、その人を表象するには不足してしまい、却ってその人をわかりにくい存在にしてしまうことが往々にして起こることになる。

このような「言語化の罠」は、記憶やその想起についても同様である。過去の記憶を記述し、また語ることは、過去の事実を語っているように見えて、その実、記述し、語っている本人がその時々におけるさまざまな関係において、過去を経験しなおしながら、記述し、語っているのであり、そこには本人のその関係におけるさまざまな思いや感情が貼りつきつつ、経験しなおされ、思いや感情を組み換えながら、本人に襲ってくるものとして過去があるのであり、それは過去そのものではない。しかし、言語化されることによって、この過去の叙述の豊かさが削ぎ落とされ、過去は事実として固定され、記憶は記憶として本人の思いや感情とはかかわりなく他者によって編集されてしまうことになる。

しかも言語には、言語そのものの限界がある。つまり、私の語る言葉は私のものではなく、社会のものを覚えて使っていながら、それが私自身によって組み換えられることによって、意味をある種の想像力によって補うことを通して、意思疎通する道具であるということである。私が私を語ることは、他者を借りて自己を語ることであり、そこには他者への想像力のような配慮が働きつつ、自己を受け止め、理解してもらえるという「信任」が生まれていなければならない。このことに自覚的でないと、言語は他者に対する抑圧として働いてしまう。

形式知とは本来、上記のように、これまで経験則的に行われてきた他者へのアプローチのスキルや手順などの型を言語化し、見える化することによって、経験則の暗黙知がもっていた時空間的な制約を解除するものであり、それを越えて、語られる内容がもつ思いや感情などの豊かさを一般化し、定型化することではない。しかし、今年度の応募企画書に見られる生成AIの活用による暗黙知の形式知化の議論は、その多くがこの内容の豊かさを言語化することで、定型化しようとするものであるかのように受けとめられ得る。それはまた生成AIが大規模言語モデルにもとづく学習モデルを背景に設計されており、個人のもつ固有性の根拠である言語化され得ない領域までをも、大規模言語処理による解釈によって理解し、言語化する提案を行うことで、それを受け止める企画者がそこに自己の思いや感情を載せてしまい、結果的に、暗黙知の形式知化を内容の在り方にまで拡張してしまっていることを示しているようにも思われる。

このことは、既述のように、多彩な取り組みがにぎやかに展開されているという表層の豊かさに比して、そのより深い部分で一般化・標準化が起こり、極めて平板で貧しい人間観や社会観にもとづく実践へと社会実装段階で組み換えが起こってしまうことを危惧させるものである。それはまた、豊かな日常生活に彩られているはずの草の根の社会が、「言語化」され得る、つまり言葉で解釈可能な平板なものへと組み換えられて、実践が進められることで、その日常生活を送る人々に形式知化された枠組みを押しつけることになりはしないかという危惧でもある。

このことはさらに、多くの企画提案が、わかりあえないがゆえに、楽しさや面白さの偶然性に懸ける提案でありながら、むしろそれを「言語」によってわかりあえる関係へと解釈し、それを〈正しさ〉として他者に強要する、つまりわかりあうことを強要する実践へと転化してしまう危うさ、つまり多様性を否定する自治の在り方へと転じてしまう危うさを孕んでいることを示すものではないだろうか。このことがもたらすのは、言語化された「かかわり」「つながり」という〈正しさ〉を他者に強要するある種の全体主義であり、またその解釈の違いによる〈正しさ〉の応酬だといったらいいすぎであろうか。

そして、この危惧の上に、既述のように企画書の論理構成が「誰か」のものの適用であるかのような印象を受けるものが多くなっていることが重なることで、新たな懸念が生じることになる。たとえば、多くの企画書で、2025年度の選後評の内容に沿った論理や概念の応用がなされているが、生成AIにそれを読み込ませることで導かれた提案にもとづくものだと受け止めると、それぞれの企画書の論理が似通ったものであることにも合点がいく。しかし、そのような企画書は、企画者が本当に提案したいものだったのだろうか。この点で、疑念と懸念が残る。

これらの意味において、生成AIが本格的に普及し始めた今日、改めて本プログラムのいう自治型社会とはどのようなものであるのかを再考しなければならなくなっているようにも思われる。それはまた、たとえば共生社会というときに、共に生きるというだけでなく、むしろわかりあえない他者と生きるを共にする、という解釈が可能であり、その「生きる」という形式においては誰もが同じでありながら、「生きる」ことそのものはそれぞれ個別の楽しさや苦悩、そして余白などさまざまな豊かさがあることを、どう自治型社会に組み込みつつ、新たな社会を構想するのかということでもある。今後、関心をもつ多くの人々の議論を期待したい。

個別の企画提案への若干のコメント

以下、採択された企画提案に対して、審査意見を含めた若干のコメントを加えておきたい。

1)日本の枠組み

*プロジェクトチーム名:黒潮コモンズラボ

企画題目:鹿児島と沖縄の海域を資本とした離島文化経済圏の自治モデル 

鹿児島県内28の有人離島を対象とする実践型コミュニティ「鹿児島離島文化経済圏(リトラボ)」の実践を背景として、そこで蓄積された自治の知見をモデル化し、発信することで、沖縄県の離島にも展開し、いわば黒潮文化経済圏を住民主体でつくりあげる試みの提案である。本提案は、形式知化できるものだけではなく、暗黙知や経験知も含めて記述し、共有できる形にしつつ、各現場の住民たちが思いを共有しつつ、それぞれの土着の文化や生業を尊重しあって、新たな文化経済圏を形成しようとするもので、20世紀末から世界的に問われている南北問題、そしてある種のコロニアリズムへの新たな対抗軸としての内発的発展論などの系譜に連なるものである。また、東京への一極化を強めようとしている昨今の政治経済の動きの中で、その流れに抗して、自らの文化の多様性を基盤として、それを経済へと結びつけ、新たな圏域を創り出そうとするところに意義がある。この文化経済圏を考える時、それは相互受容・承認・尊重の関係をつくりだすことで、贈与経済とでも呼べる交換関係=交歓関係を生み出し、それがさらに新たな文化の醸成と経済活動の創造を促すようにも思われる。本提案では、それを自治を超えた「共治」を呼ぶが、「共」とは一体何であるのか、ということも含めて、改めて本提案でいう文化経済圏形成に連なる自治の在り方を問い返して欲しい。

 

*プロジェクトチーム名:あわいの時間プロジェクトチーム

企画題目:違いを前提にした対話により市民が「問い」を立てられる環境が自律して続く基盤づくり

市民が日常生活で感じるちいさな違和感や疑問などを他者との交流の中で「問い」へと自覚化し、解決をもたらすのではなく、他者との対話の中でさらに新たな「問い」を生み出し、市民自身が絶えず考え続ける環境基盤を形成する試みの提案である。本提案では、このいわば考える自治主体の育成のための「問い」を生み出し続ける関係を、かかわりの「あいだ」つまり「あわい」としてつくり続けるプラットフォーム形成が予定される。このプラットフォームは万人に開かれており、中心がないことも特徴的であり、ある種の自律分散システムとして機能することとなる。また、実践の価値や内容ではなく、形式を普遍化しようとしている点でも、中央集権化を避ける配慮がなされているといえる。社会的な規範が明確な一線を引くことを求め、人々がその規範に沿って思考し行動することで、社会そのものが極めて厳しい自己責任=他責型社会になってしまっている昨今、本提案のようなプログラムが社会実装されることで、いわゆるネガティブ・ケイパビリティが発揮され、人々が他者との間のグレーゾーンで粘り強く思考を繰り返し、よりよい社会に向けて自ら考え行動する当事者へと自己形成していく筋道がつくられることが期待される。そのプロセスを支援することの意義は大きい。

 

*プロジェクトチーム名:贈与経済2.0×農村自治 実装プロジェクトチーム

企画題目:農村課題の解決に向けた贈与経済2.0―自治型社会の創出と人材育成

トヨタ財団特定課題プログラム「先端技術と共創する新たな人間社会」における採択プロジェクト「新しい贈与経済圏の構想—ブロックチェーン技術の社会的有用性の検証を通じて」において開発された手法を形式知化し、社会を自治的に組み換える方法論を社会実装する試みである。私たちの社会はある種の贈与によるつながり、つまり貨幣が関与しない領域をもっており、それが市場の基盤を担保していたが、いまやこの領域までにも貨幣が浸透し、贈与が機能しなくなって、社会は人々が信任をもって生きる場ではなくなってしまっている。このような状況に対して、ブロックチェーン技術を活用して、新たな贈与の経済を社会実装することで、人間の存在の固有性を回復する市場経済の在り方を構想しようとしたのが、本提案の前提となるプロジェクトであり、本提案はこれをさらに農村地域をフィールドにして、贈与経済を基盤とする新たな貨幣経済の在り方を構想しようとするものである。そこでは、相互受容や承認による自己肯定感や自尊心、さらにはやりがいや生きがいという、それぞれの人々に固有でありながら、その存在の根源にかかわっている普遍性を扱いつつ、相互に交換=交歓可能な状態に組み換えることで、人々が市場社会における孤立を新たな社会関係へと組み換える回路が見出されるように思われる。今後さらに、人間にとっての贈与とは何であるのか、人間が社会におかれるとはどういうことなのか、などについて根源的な問いを発しつつ、実践を重ねることが期待される。

 

*プロジェクトチーム名:集まれ!関係案内人チーム

企画題目:自治を支える地域共助人材「関係案内人」の実装に向けた分析・検証・試行

鎌倉市で実践されてきたローカルコミュニティハブ関係案内所の取り組みを基盤として、地域社会にある人的、物的、関係的資源を結びつける「関係案内人」の役割や効果を検証し、人々を自治主体へと育成するモデルを形成して、自治型社会を支える仕組みづくりを行う提案である。とくに、本提案では、店先での買い物や犬の散歩という「日常生活の延長線上で生まれる偶発的な関係性」に着目して、それを「関係案内人」がつなげることで、市民相互のかかわりを紡ぎ、相互扶助を基本とした自治へと社会を編み直そうとする点で、興味深い。従来たとえば、商店街のもつモノの売り買いのみではなく、むしろ多様な人々が行き交うことで、偶発的でゆるやかな出会いが生まれ、それが地域コミュニティ基盤を安定させるという機能の指摘などがあったが、それらはいわば「場所」の論理であった。それに対して、本提案は、それを「関係案内人」という「人」または「機能」の論理へととらえ返すことで、場所に制約されない、そして極めて日常的なかかわりの創出を可能とするものと見える。今後、さらに全国にある同様の取り組みなどを参照しつつ、人はなぜ出会うことで、「かかわり」「つながり」を求めるようになるのかなど、人としての存在の在り方について議論を深め、その上で、改めて「公共」とは何なのか、担い手論ではなく、参加論・関係論としての「公共」概念のとらえ返しがなされることが期待される。

 

2)地域の枠組み

*プロジェクトチーム名:山海公民館プロジェクト

企画題目:医療機関がつくる「ふたつの公民館」を軸とした自治型社会の創出

住民がサービスの享受者となってしまっている社会の状況に対して、医療機関を中心として、社会的な弱者が当事者となる仕組みをつくり、自らが生活の当事者としてコミュニティを自治的に形成することを通して、支援する側・される側という区別を解消しつつ、新たな社会基盤を形成するプロジェクトの提案である。地域の医療機関は、社会的共通資本の一部として、社会に「信任」をつくる役割を担っており、その機関が、医療サービスではなく、社会的な弱者が当事者として自らの生活を営むことができる仕組みを「山公民館」「海公民館」として構築し、医療ベースの自治を生活ベースの自治へと展開しようとする試みは興味深い。また「公民館」の名前を掲げるのであれば、社会教育とくにその担い手として育成されている社会教育士やその行政機関(ポスト)である社会教育主事などとの連携を通して、社会教育行政や学校教育行政などとも結びつき、住民の学びを基盤とするコミュニティ自治形成と次世代育成による持続可能なコミュニティ形成を見据えた協働も期待される。医療がさらに社会的共通資本である教育と結びつくことで、社会が人々が自ら担い、「信任」に値するものへと形成されることが見通されるようになると思われる。

 

*プロジェクトチーム名:旧岡本医院処方室 生態的処方研究会

企画題目:旧小児科医院を活用した「生態的処方」によるケアの自治基盤づくり

京都市左京区浄土寺エリアにおいて、旧小児科医院の家屋を改修した拠点において、人だけではなく、人と地域の自然、人文的資源、環境その他をケア資源と位置づけ、それらと人とのかかわりをとおして、人々が精神的・身体的不調と向き合いつつ、回復または新生を遂げるプロセスを「生態的処方」として確立し、また実践しようとする提案である。人の在り方を問い返しつつ、それを社会関係だけでなく、自然環境とのかかわりや都市環境などがもつ人文的環境にまでかかわりをひろげてとらえながら、一つの生態系として構築し、人の在り方を再構築しようとする試みはとても興味深く、今度の社会の在り方を問い返す意味のある提案だと考えられる。反面で、社会実装の手法が、市場主義的であり、そこでは生態的処方が、ある種の資本の生態とリンクしつつ、市場原理へと絡め取られていくようにも見える。どのようにケアを基盤とした新たな自治型社会を構想するのか、生態的処方の観点からのさらなる言及と検証が欲しい。

 

*プロジェクトチーム名:リリリテールチーム

企画題目:商店街を起点とした地域自治の「OS」のアップデート―ハッピーロード尾山台での実践

世田谷区の商店街・ハッピーロード尾山台をフィールドに、端的には商店街の新たな再生のためのプロジェクト提案である。商店街そのものが地域の自治的な資源として、単にモノを売り買いする場所ではなく、むしろ人々が行き交うことで、新たなかかわりを生み出し、それが社会の在り方を組み換えつつ安定させる機能を果たしていることをとらえ、それをOSとして支える商店街振興組合の役割を認め、また保全しつつ、そのOSの上でアプリケーションが自在かつ自律的に活動して、OSそのものを活性化するための中間的な媒体・ミドルウェアを構築するという点に、本提案の新しさがある。本提案ではさらに、商店街をコモンズ化することによって実現しようとしており、商業とは何かという本質的な問いに向けての契機を孕んでいるものといえる。今後、市場とは、商業とは、を問い返すことで、ミドルウェアが新たな「公共」として生成され、持続可能な地域コミュニティの経営体が生まれてくることが期待される。

 

*プロジェクトチーム名:敦賀デコミ・エコミュージアム準備チーム

企画題目:廃炉・バックエンドを地域自治のテーマへ変換する対話と表現の基盤

「廃炉時代の敦賀を、地域住民自身がどう考え、どう語り、どうつくっていくか」という問いから、原子炉の廃炉・バックエンドを可視化しつつ、それを専門家の問題として片付けるのではなく、また賛成・反対という政治的な課題へと矮小化するのでもなく、地域住民の日常生活とかかわらせて、住民が我が事として受け止めつつ、住民自治の主題へと組み換えるための基盤整備の提案である。とくに、廃炉や普通は目に見えないバックエンドの事業を可視化しつつ、住民が学びながら自らの日常生活の組み立てを考えていくエコミュージアムへと組織化する観点は、独創的であり、他の地域にとっても参考となるものだと思われる。さらに、廃炉・バックエンドの問題を生活の問題としてとらえ返しつつ、いわゆる一般的なミュージアム構想に終わるのではなく、日常生活とくに経済生活がどのように組み換えられつつ、新たな姿を見せてくれるのか、そういう検討も必要なように思われる。

 

*プロジェクトチーム名:おせっかいJAPAN

企画題目:小商いから『福祉がにじみ出るまち』へ ―小商いから自治への実装モデル―

東京近郊の埼玉県杉戸町をフィールドに、地域の住民たちがさまざまな小商いを実践し、ちいさな収入を得つつ、地域に参画して、相互につながりあうことで、自治を実現しようとする取り組みの提案である。杉戸町は、住民の社会参画を促すためにも、理念主導型、動員型ではなく、ちいさな利益をきっかけとして人々が経済活動を行うことを通して社会参画を実現する「小商い」を実装することで、ネットワークをひろげてきている。この「小商い」をベースにして、さらに人々のつながりを創出し、相互にかかわりあい、支えあうことで自治の基盤を生成しようとするプロジェクトであり、実現可能性の高いものである。さらに欲をいえば、この自治の動きが、提案ではサービスの提供・受容関係に焦点化されている「小商い」の在り方を、生産を組み込んだコミュニティ経済(消費額のほとんどが地域コミュニティで次の消費を生み出すような生産を組み込んだ経済圏)の確立へと向かう構想があってもよいように思われる。

 

*プロジェクトチーム名:鶴川「えんキッチン」プロジェクトチーム

企画題目:「えんキッチン」 ―つくる・食べるを通した小さな関係づくり―

町田市鶴川地区をフィールドに、地域住民が一緒につくり、一緒に食べることを通して、互いに交流して、つながりあい、まちのちいさな自治の基盤をつくろうとする取り組みの提案である。地域住民の間には、「顔見知りだが、かかわりが浅い」関係が多数存在しており、自治としての取り組みへと展開することは少ないが、無理なく立ち寄れ、かかわれる場を創出することで、互いに配慮しあい、手伝い、持ち寄り、一緒にやるという自治的関係の基盤づくりにつなげる取り組みとして、食事を一緒につくり、食べることが提案される。活動の過程で、人々の活動を記録し、他地域への展開を考えるというが、単なる活動や行動の変化を記述するのではなく、その場合、活動の中で何が起こっているのか、などについても深い考察が必要になるように思われる。そうすることで、この取り組みは形式としてのともにつくり・食べることが、人がかかわりの存在であり、自己承認を求めている存在であることを明らかにすることにつながっていくのではないだろうか。

 

*プロジェクトチーム名:チーム長谷川流域ランドスクリプト

企画題目:恵みとリスクのマネジメントを目指したランドスクリプトベースの流域自治プロジェクト

宮崎県の長谷川流域をフィールドに、従来、流域住民が蓄積してきた「自然の恵みとリスク管理」にかかわる空間リテラシーを、新たに開発した「流域ランドスクリプト」の手法によって再生しつつ、流域住民と関係者が、流域にかかわるつながりの記憶や価値を可視化(継承・伝統)しつつ、さらにそれぞれの違いを超えて新しい流域の物語(未来)を描き、共有して、流域の持続可能性を高めようとする試みの提案である。流域ランドスクリプトという手法による流域のつながりや記憶の可視化=価値化とそれによる新たな流域の在り方の創出は、新たな流域自治を生み出す可能性があり、しかも地域住民のもつ空間リテラシーを否定せず、受け止めながら、次の新たな価値創造に向かう取り組みでもあり、地域おこしの議論としても納得できるものだといえる。反面で、採用される手法は、外部から持ち込まれるものであり、アプローチの仕方が当為的に描かれてはいないだろうか。また、記憶の言語化は、普遍性をもつ一方で、機微な体温のある記憶を客観視・相対化してしまい、住民の「思い出」として暗黙知化されているものを否定しかねない危険をもっている。これらの点について、意識的であって欲しい。

 

*プロジェクトチーム名:さばえまつり実行委員会+一般社団法人uimui

企画題目:多様な人々が、自ら「つくる」まちを実現する舞台としての「さばえまつり」と「鯖大」

市民活動が活発なまち鯖江をフィールドに、新旧住民や関係人口が入り乱れて構成されるイベント「さばえまつり」の一過性の性質を、その多様性や活力を維持しつつ、通年の学習事業へと押し広げる市民大学「鯖大」へと展開し、地域コミュニティの創発性と持続可能性を実現しようとするプロジェクトの提案である。「まつり」という無礼講的な一過性のイベントによって人々のかかわりの在り方を組み換えつつ、「学び」という恒常的な取り組みへと接続し、「学び」を改めて「まつり」によって組み換えることで、いわば「ハレとケ」の日常的な循環がつくられ、関係人口や高校生など旧来の地縁組織からはこぼれてしまっているアクターと町内会・自治会などの旧来の地縁組織をと結びつけつつ、双方の承認・受容関係を生み出し、まちを活性化していくイメージが得られることとなる。さらに、この「ハレとケ」の循環において、さまざまなアクターが参加するだけでなく、彼らが次のクリエイターとなって、日常の「ケ」をざわざわとにぎやかなものとして創造していく筋道が描かれることが期待される。

応募件数 助成件数 採択率
1)日本における自治型社会の一層の推進に寄与するシステムの創出と人材の育成 39 4 9.8%
2)地域における自治を推進するための基盤づくり 258 8 3.1%
合計 297 12 4.0%
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