先端技術
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私のまなざし
著者 ◉ 宮原克典(北海道大学)
- [プログラム]
- 2021年度 特定課題「先端技術と共創する新たな人間社会」
- [助成題目]
- 人間と人工主体の共存のあるべき姿を学際的に問うための新たな枠組み『人工主体学』の構築に向けて
- [代表者]
- 宮原克典(北海道大学)
身体性から見る人間とAIの相違点

2022年4月、トヨタ財団のご支援のもと、「人間と人工主体の共存のあるべき姿」をテーマにした学際的なプロジェクトを開始しました。プロジェクトの狙いは、今後の人工知能(AI)技術の発展を見すえて、人工物が「主体」となる可能性と、そこから生じる社会的・倫理的な課題を予見的に検討することでした。しかし、技術の進歩の速度は、私たちの予想の遥か上を行きました。
プロジェクト開始から数か月後の夏、テキストから精緻な画像を生成するAIが次々と現れ、同年11月にはChatGPTが登場。そこから数年でAIは日常生活のいたるところで用いられるようになり、人間社会とAI技術の関係は一変しました。それに伴い─これはプロジェクトで想定した通りでしたが─ある哲学的な問いが世間の注目を集めるようになりました。「AIはいつか人間のように心を持つのか」という問いです。
かつてはSFの世界にあったこの問いが、今や現実的な可能性として語られるようになりました。多くの人がこの哲学的な問いに関心を寄せるようになった状況を、私は哲学研究者として嬉しく思う一方で、一抹のいらだちにも似た歯痒さも覚えていました。「心とは何か」という根本的な問題について十分な省察がなされないまま、世の中ではSF的な未来への期待と不安ばかりが先走りしているように感じられたからです。
なぜ「AIはいつか心を持つ」と期待されるのでしょうか。その裏側には、「人間の心は脳というハードウェアで動くソフトウェア(コンピュータプログラム)のようなものだ」という考え方が潜んでいます。実際、そうでなければ、AIに心を宿らせることは、単に技術的に困難なだけでなく、そもそもの可能性としてありえないはずです。このように心をコンピュータになぞらえる見方は「心の計算理論」と呼ばれ、AIを含む認知科学の発展を20世紀半ばの黎明期から現在に至るまで支えてきました。
この見方が正しいとすると、そこから広がる可能性は無限大です。ロボットに心を宿らせることも、自分の心をコンピュータにアップロードすることも、原理的には可能だということになります。思考や感情といった捉えどころのない現象が、実はプログラムにしたがった情報処理でしかないという「真実」には、全ての悩みを吹き飛ばしてくれるような魅力すらあります。しかし、本当に人間の心はコンピュータプログラムなのでしょうか。たまたま人間においては脳で動くけれども、原理的には半導体集積回路にも実装できるような現象なのでしょうか。
私自身の研究の出発点は、人間の心をコンピュータとして捉え直す、この現代的な発想への根本的な違和感でした。この違和感に言葉を与えてくれたのは、20世紀フランスの現象学者モーリス・メルロ=ポンティです。
メルロ=ポンティは、意識や心を個人の内面的な領域として捉える伝統的な哲学に異を唱え、それらが世界と関係を結ぶ身体に根ざしていることを説いた「身体性」の哲学者として知られています。
たとえば、なぜ球技の選手はボールが白線を越えるのを防ぐために体を投げ出すのでしょうか。単に「白線を越えたら相手ボールになる」と頭で理解しているからではありません。日々、その競技を鍛錬してきた結果、白線はもはや考えるまでもなく特別な「境界線」に感じられ、選手の身体を突き動かすのです。学生時代、ラグビーという競技に打ち込んでいた私は、頭での理解とは異なる身体的な「知」の経験を見事に言語化した、メルロ=ポンティのこの分析に衝撃を受けました。これを学ばずに大学を出るわけにはいかないと大学院に進学しました。
その後、このメルロ=ポンティの思想を認知科学の領域に融合する「エナクティヴィズム」という考え方に出会い、今でもそれをテーマに研究を続けています。エナクティヴィズムの視点は、身体と世界の交流から心が作り出されるありさまを解き明かします。たとえば、かけがえのない身体があるからこそ、私たちは「食べ物」や「寝床」の意味をただ認識するのではなく、その生きた意味を経験できる。さらに、他者との関わりの中で形成される社会的な身体をもつからこそ、生命維持に必要なものだけでなく、人間社会が作り出した「白線」や「言葉」にさえ、深い意味が感じられるのだ、と。
メルロ=ポンティやエナクティヴィズムの視点から捉えると、AIは自動車の運転、アートの制作、流暢な会話など、従来は人間にしかできなかったさまざまな活動をこなせるようになりつつあるものの、身体をもたない点で人間と決定的に違っています。AI制御システムにロボットのボディを与えたり、大規模言語モデルに身体に関する膨大な知識を習得させたりすることはできるでしょう。しかし、それはかけがえのない生きた身体をもつことと同じではありません。将来、生きた身体を人工的に作り出せるようになる可能性はあるにしても、現在のAIシステムには、世界の生きた意味を経験するための根本的な基盤が欠けています。

人工主体との共存」プロジェクトを実施した3年間、大規模言語モデルを基盤にしたAI技術は世間の熱狂を伴いながら発達を続けました。その中で、あえて心の身体性を強調する言説は、お世辞にも広い支持を集めているとは言えない状況が続いています。
しかし、どれほどAI技術が進歩しようとも、それと関わる私たちが「身体を通じて世界の生きた意味を経験する存在」であることに変わりはありません。さらに言えば、昨今は「AIエージェント」や「超知能」の到来も盛んに議論されていますが、AI技術がいくら進歩しようとも、それはあくまで人間が世界との身体的な関係の中で生み出した技術であり、身体をもった人間に取って代わることのできるような存在ではありません。
このある意味では極めて常識的だけれども、ややもすれば見落とされがちな人間活動における身体性の意義に光を当て続けるのが、研究者としての私の役割だと思っています。
公益財団法人トヨタ財団 広報誌JOINT No.50掲載
発行日:2026年1月27日
