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助成から10年の今と未来

2016年4事業、2026年21事業。進化する甑島。半径400メートルで完結するコミュニティづくり

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インタビュー
鹿児島県の北西部にある甑島列島
鹿児島県の北西部にある甑島列島

少子高齢化問題や人口減少が日本のあらゆることに影響を与えることは、ここ数年、顕在化しているが、離島(こしきしま)ではその問題が深刻だ。鹿児島県の北西部にある甑島列島には高校がないため、中学卒業後、島を離れ、進学と就職をし、そのまま戻ってこない人が少なくない。東シナ海の小さな島ブランド株式会社(通称:アイランドカンパニー)は、未来の担い手である子どもたちが、将来、甑島で働きたいと思える新たな仕事の風景を創出するために「KOSHIKI DESIGN CAMP」と「DESIGN MEETING」の取り組みを実施。これらを通じて、島の課題解決を見据えたプロジェクトの事業化を推進してきた。

トヨタ財団は2015年に「KOSHIKI DESIGN CAMPを通じた島の未来を照らす仕事創りプロジェクト」に助成し、事業の推進を後押しした(実際の活動は2016年から)。

現在は「半径400メートル圏内の限界集落ゼロモデル」という、コミュニティを中心とした街づくりを進めている。これらのように活発な活動をしているアイランドカンパニーを率いるのが山下賢太社長だ。

インタビュアー ◉ 鷲澤なつみ(トヨタ財団プログラムオフィサー)
執筆 ◉ 武田信晃(フリーライター)

[プログラム]
2015年度 国内助成プログラム
[助成題目]
KOSHIKI DESIGN CAMPを通じた島の未来を照らす仕事創りプロジェクトこのリンクは別ウィンドウで開きます
[代表者]
山下賢太(東シナ海の小さな島ブランド株式会社)

2016年4事業、2026年21事業。進化する甑島。半径400メートルで完結するコミュニティづくり

挫折から街づくりへ

山下賢太社長
山下賢太社長

1985年生まれの山下社長は甑島に戻ってきた数少ない住民の1人。しかし、その道のりは簡単ではなかった。中学卒業後、高校には行かず千葉にあるJRA(日本中央競馬会)の競馬学校に行き、騎手を目指した。しかし、残念ながら減量に失敗して、中退し甑島に戻ってきた。

そんな時、中学校の担任の先生が声をかけてくれた。「島には、ある意味でドロップアウトした子どもたちを支える選択肢が少ないのです。僕は夢破れ、島に帰ってきて、もう1度やり直したい気持ちはありました。担任の先生が、もう1回、教育委員会に行くぞ! 前例はないけど、もう1回、学校に通わせる、と言ってくれたのです。先生は、目の前にいる人のために自分は何ができるかを考えてくれ、従来のやり方とは違う方法で、本質的なサポートをしてくれました。課題解決のためには頭を使い、みんなで協力してやっていくということを教えられました」

もう1人、山下社長に救いの手を指しのべたのが漁師をしている先輩だった。「周囲の期待を裏切ったという思いから引きこもってしまい、人目が怖かったのですが、その姿を見た先輩が、夜中の漁だから誰にも見られないし、若いから何回でもやり直せる。家にこもっていても悪いことしか考えないから、船に乗って体動かせって言ってくれました」

結果、通常より1年遅れで、鹿児島市内で高校生活をすることになった山下少年。高校3年になる春休みに里帰りをしたとき、島の景色に衝撃を受けた。父親が働いている建設会社が、山下社長の原風景である港の公共工事を担当し、それによって様変わりしていたからだ。「心の真ん中に穴が開いたような気持ちになりました。公共事業という名の下に起きていることですが、それで得たお金で父は僕を育てられますし、僕自身も人生をリスタートさせてもらえているという事実があったからです」と複雑な心境だった。

「港を更地にするのは、意味があるからそうしていますし、工事関係者も社会を悪くしようと思って仕事をしているわけでもありません。人間社会が作り出したシステムの中でこうなったので、頭の中がバグったというか、形容できる言葉は今でも見つからないです」と付け加えた。

この経験で山下社長は、今の仕組みが続くと、自分の大切なものを守れず、どんどん島らしさがなくなっていくことに気づいた。そこからからは、島が抱える問題に対して考えるようになった。「都会の暮らしに憧れる人もいますし、ここに生まれ育った人でも、島の暮らしは貧しい、遅れている、価値がないものだと、思っている人が多くいます。しかし、そうじゃないんだということを、どうやって伝えていくか? 言葉で言ってもわからない人にはわからない。ならば、価値ある日常を作ったりすることで、じんわりと社会を変えていき、島の暮らしもいいねって思ってもらうようにしたいのです」。社会の仕組みを変えるやり方はいろいろあるが「そもそも、島に何らかの問題が起こるのは、今の社会構造から発生しています。これからの社会は、(立案する)川上を変えるのではなく、(街がある)川下側で川上側が流す水の受け方を変えていくのです」。それに加え、川下側も川上側が策定したことに対して意見を言えるような状況に変化させたいとも考えている。

就職とは自分自身の生き方

高校卒業後、京都芸術大学の環境デザイン学科に入学、地域デザインという分野を専攻した。それは、ふるさとの港のことが頭の中にあったからだ。当時の恩師には次のようなことを言われた。「デザイナーとは、職業ではなく、おまえ自身の生き方だ。それに地域がつくのだから、地域にとって必要な生き方というのは、何だっていい」。就職とは、職に就くのではなく、生き方を表現して生きていく手段だという意味だ。「設計をしてもしなくても、お菓子を作っても作らなくても、農業やっても、漁師やっても、それが地域デザインだと思うなら、それが大事なことなんだ」という言葉も心に残っている。

大学卒業後は、和装小物メーカーで京町の家の再生や景観計画の策定などといった仕事に従事した。勤務先の社長が話していたことも忘れられない。「もうけた金は文化に使わなあかん。自分たちの利益は自分たちが生み出したものではなく、先人たちが、京都というものを残してくれたからであって、そのおかげで儲けさせてもらってる。もうけた利益は、次の代に返さなあかん。3代先を見据えて事業をするんや。そうやって京都が京都たらしめてきた。自分たちはそこで商売させてもろうてるんや。街は役人が作るものやない、街商人が作るんや」。自分たちの手で街を作っていくという姿勢は甑島の再生において大きな言葉となった。

過去10年間で事業の数は4から21へ

京都で働いていた山下社長が甑島に戻ろうと思ったきっかけは、里帰りした時、近所のおばあちゃんに「向こうで頑張っているけんちゃんもいいけど、ここにいるけんちゃんが好き」と言われたことだった。経験を積み、技術・知識・スキルがついたら島に恩返しようと思っていたが「今は、何者でもない若者に対して、おばあちゃんから、それでも甑島に自分がいてくれることに意味があるということを言われたのです。京都には自分の代わりはいくらでもいますが、甑島では1人がいるといないとでは大きく未来が変わることに、ハッとさせられました」

甑島に戻ってきた山下さんの最初の取り組みは米作りだった。「都市部に行けば行くほど、誰が作ったかわからない米や野菜を食べるので、農家への感謝のしようもなく、ただ、お金でモノを買える社会になっていて、そこに対する違和感があったからです」

耕作放棄地で米作りを開始し、「島米 Shimagome」というブランドを2011年に作り、事前予約で米を販売することを決めた。事前予約をしてもらうには、島米が、どんなものなのかを知ってもらわないと購入するまでのハードルが上がる。そこで、耕作している10か月間、米作りの様子を発信し、農家が手間暇をかけて米を作っていくプロセスを可視化するアイディアを思いついた。「ここにある物語、ここにいる人たちの暮らし、日常のモノが生まれてくる現場をまっすぐ届けようという考えから始めました」。米が届かない10か月にこそ本質があることに気づいた結果、3キロのお米は5000円だったにもかかわらず全国から予約が入った。

2018年4月にオープンしたのが1日4組だけを受け入れる「FUJIYA HOSTEL」だ。新しいホステルを作るのではなく、長年釣り人たちに親しまれてきた木造の舟宿を改修し、日本の建築物の良さを宿泊者に感じてもらうことを念頭に入れた。「形も様式も全てに意味があります。多くの新建材は経年劣化していきますが木造建築は『経年美化』していきます。襖と畳を使って和の空間を作っていくのが日本的な建築ですが、日本人の感覚とは光と影が基本なのです。陰影の世界によって侘び寂びの文化を作ったりしてきましたが、現在、そういうものの教育をあまり受けなくなっています」

山下商店甑島本店
山下商店甑島本店

「地球は円なので、水平線は、本当はまっすぐではないですが、自然界に見えるものでまっすぐなものですから。芸術の美しさとは、まっすぐはなく、影も生まれたりとかするからこそ、人は何かほっとします」。山下社長によると、現代の建物は直線が多いが、それは効率化を求めた結果で、自然界に直線はないからこそ、人間は、水平線を含め直線に憧れるのだと説明した。

米作りから始めた山下さんだが、トヨタ財団から実際に助成を受けたころは、FUJIYA HOSTEL、豆腐販売の山下商店、カフェのコシキテラス、米づくりなど4つぐらいの事業だったが、今や21事業にまで拡大した。

新事業をする基準は、島民から求められたものや困りごとからきていることが多い。「モノを売るための営業活動はしませんが、新事業を始める時は、フィールドワークとヒアリングをかなりやります。そうすれば、何が求められているのか具体的にわかりますし、勝手に求められるようにもなります(笑)。自分の中にある、誰かを助けたい! 何か力になりたい!という思いがビジネスとしても成り立つのです。そうすると、コーヒーが飲める場所があってよかった、豆腐屋があってよかったと言ってくれる人が増えていくのです」

また、未来に向けたプロジェクトをする時は、過去からの流れがあるので、後ろを振り返る…時間軸をさかのぼる。そうすると、この街は次にどっちに向かっているのか見えてくるそうだ。「人間は社会に生きているので、人としての喜び、笑い、楽しみがあり、歌や踊りもあり、その土地だからこそ生まれているリズムやコミュニティの形を、ちゃんと理解するのです。それらを認識できれば、ここに投資しようという意思決定が可能になります」

限界集落ゼロモデルを作る

パン屋
お店には焼き立てのパンが並ぶ

山下社長は甑島においてコミュニティが適正に回るのは半径400メートルだと考えている。「私たちは、半径400メートル圏内の世界の土地の歴史、文化、芸能を守ったり、作ったりしようとすることを、”らしさと文脈を耕す”と表現していますが、半径400メートル圏内の、限界集落ゼロモデルというのを作ろうとしています」

その意味を、もう少し詳しく聞いた。「半径400メートルの輪がいたるところで、たくさん重なり合っていると思ってください。半径400メートル圏内の内側にいる人と外側にいる人は、生活圏が変わりますが、重なり合う部分にしっかりとしたインフラを整え、公共サービスを用意すれば、誰にとっても住み心地のいい居場所が街にできるのです。甑島での自立の概念は、自分の足で立つことではなく、他力本願によって成り立つ社会をどう作るか、たくさんの頼れる先をどう作っていくかです。これを作るために尽力してきました」と、自立の最小単位は「1人」ではなく、「コミュニティ」なのだ。

山下社長は「限界なのは人ではなく、人を支える仕組みだ」と指摘する。「甑島にも道、橋、港もある。現代の本当のインフラとは、人と人のつながりとか、手触り感のある、自分たちの街だと思える場所のことです。これを自分たちでちゃんと作らないといけません。400メートル圏内に責任を持つ企業が私たちであれば、少なくともこの400メートル圏内で暮らす人たちは、パンも米も豆腐も食べられます。金土の夜の山下商店は、お豆腐屋さんからお酒が飲めるバーになっているし、いつも誰かが集まっている場所にもなっています」

豆腐販売にしても、店頭だけでなく、たとえば、おばあちゃんが住む家の玄関先に行き「元気?」と会話をしながら販売をしている。その会話の中で、お米を運ぶのが大変だと聞けば、次の豆腐の配達の時に、事前に米も買って、豆腐と一緒に届けたりしている。「愛情のあるビジネスをインフラとして構築していくのが重要なんじゃないかなと思っていて、このように行商に力を入れています」

また、最近は総菜の販売も始めているが、材料は地元で採れるものは全量買い取りをして、地域の中で循環を作り出すことを意識しているほか、特産品のキビナゴをソース状にしたキビーニャカウダという、塩漬けの文化を生かした保存食の販売も行う。キビーニャカウダの商品パッケージは過去にアイランド カンパニーで働いていたスタッフのデザインだ。「うちの会社を辞めた後もみんなとつながっています」と一種の自律分散型のシステムを確立している。

長目の浜展望所
長目の浜展望所からの眺め

森の再生は未来への投資

今、力を入れているのが不動産関連事業で「島守」という会社を設立した。空き家、遊休不動産などの保守管理や運用、UIターンなどの移住・定住や交流人口の拡大を目指す。

現在は不動産の管理と運用を中心にやっているが、将来的には森を育てる大工を育成していく。さらに、木材を製材できるマイクロ製材所を立ち上げて林業を営みたいと考えているが、ここには深い意図が隠されている。

「今後、二酸化炭素削減に関して、カーボンオフセットの話があるので、上場企業が二酸化炭素の排出権を買わなければいけなくなってきます。その時に、手付かずだった森がお金に変わるのです。この財源を生かして、さらにまちづくりを進めるという1つの仕組みを構築したいです。うまくいけば、全国に展開していくことができると思います」

トヨタ財団の助成から学び、ファンドを創立

甑大明神
甑島の名の由来と言われている甑形の大岩を御神体とする甑大明神

山下社長はとどまることを知らない。2025年7月、「一般財団法人かごしま島嶼ファンド」を設立した。⿅児島県下28の有人離島に約15万⼈が暮らしているが、海に囲まれた地理的な状況からも孤⽴しやすく、少⼦⾼齢化などをはじめとする社会課題も顕著。将来の⽇本の縮図を表す課題先進地とも言える。

ただ、財政的に厳しいところが多く、その状況を変えるために作ったのだ。「トヨタ財団からの助成を受けたことによって、財団とは何かと初めて向き合う事ができました。困ってること、悩んでること、想いはあるけど仲間がいないみたいことについて外に頼れる先としてトヨタ財団がいてくれました。自分がやっていることはこれでいいんだ! って背中を押してもらえました。この経験を受けて、今度は鹿児島の島々にお返しをしているだけなんです」

そのほかにも、それぞれの島で、挑戦をする人たちのネットワークづくりや、次の担い手を育てる人材育成を行っている。「日本全体に目を向けると、400ぐらいの有人島がありますが、日本の海域を全部取り囲むように島があるので、日本にとってもすごく大事なのです。島は遅れてるとか、経済的な力がないからインフラを維持するために税金を投入するのはどうか? という議論もあるとは思いますが、『そうじゃないよね』という感じです。次の日本社会の形のヒントが離島にあるので、未来にチャレンジするベンチャー企業などと手を組んで、新しいバリューを作っていけば、その後にどんどん島々にお金も集まって、島おこしができるのです」。このように循環していく仕組みを作るサポートをするのがファンドと言えよう。

距離感と関係性

甑大橋
甑大橋

甑島を魅力がある島にするには、結局のところ、人間の関係性が重要だということを悟った。「たとえば、都会で道路工事に遭遇すると、本来は自分たちの暮らしを支えるために公共事業やインフラ工事してくれている人にありがとうという気持ちになるはずなのに、”騒音”と言われてしまいます。これって何なんだろうと思ったんですが、人との関係性だということに気づいたんです。もし道路工事の作業員が友人だったら『お疲れさま』になりますから。でも、それは入札工事など人間が作った社会システムの中での営利活動なので、感情がなくなっていくのです。システムも必要だけど、良質な関係性を作り直すことがこの国にとって大事なことだと思います。なので、大勢の人が『ありがとう』などを普通に言えるようになると、日本は持ち直せるのではと思いますね」

甑島は人口が少ないだけに人間関係は密だ。相性のあわない人もいるのが自然だからだ。人との関係が良ければ気持ちよく過ごせるが、悪化すれば大きなストレスとなる。「もし、大規模な自然災害が発生し、エネルギーが途絶えたとしても支えあい、みんなで火を起こせばいい。行政サービスが途絶えたとしても、生きていけるような世界を、時間をかけて作っている最中です」

都会では人間関係が希薄でも社会が回るが、小さなコミュニティではそうはいかない。顔と名前が分かる世界では、一人ひとりの役割と居場所と出番をつくりながら、誰ひとり取り残さない地域づくりに努めている。社員との距離感もバランスを取るように心がける。「状況によっては『決めなくてよいときは、決めなくていい』と言うときもあります。それは一気に物事が変わらないからです。『そういう場合もあるよね』って思うようにしています」と語る。小さなコミュニティゆえにドラスティックに変える場合の弊害は都会よりも大きくなる可能性があるからだ。

小さなコミュニティゆえに全ての物事に責任を持たないといけない。「そう思える街って結構いいものですよ。愛情深くなれますから。都会も含めて、これからは、住む街に対して愛情を持てるかどうかがカギになると思います」

「いつか甑島に戻ってくると思う」……愛娘の言葉

山下社長は、ある時、11歳になる長女から「父ちゃん、私はいつかこの島に帰ってくると思う。だから早く外の世界に行きたい」と言われた。娘は、いつか帰ってくると自分の中で感じているからこそ、逆に外の世界を見たいと感じているのだ。娘に対しても、島を出た後、帰っておいでとか、会社の跡継ぎをしてほしいとかも言ったことも、話をしたこともない。

「経営は大変ですが、娘たちには、私が楽しそうに見え、少なくとも苦しい顔をして生きてないのは伝わったのでしょう。そういう、(島を想う)心みたいなものは伝わるんだなって思いました。心って後回しにされがちですが、やっぱり大事なことだと娘から逆に教わりました」。まさに、山下社長がやってきた取り組みが間違っていなかったと言える娘の言葉だった。

このように、アイランドカンパニーの着実な歩みが街おこしに貢献した結果、「第16回 地域再生大賞」(2025年度)の大賞を受賞するまでになった。今後は山下社長が話したように、他の離島にこのノウハウを広げ、離島に活気をとり戻せることができるかどうか、注目だ。

甑島
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