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JOINT32号 WEB特別版「高齢者介護における性的マイノリティの問題を考える」

高齢者介護における性的マイノリティの問題を考える

◉聞き手:甲野綾子(トヨタ財団プログラムオフィサー)

2016年度研究助成プログラムの助成対象者である平山亮さんにお話を伺いました。平山さんは、高齢者の中にも当たり前に性的マイノリティと呼ばれる人たちがいることを念頭に、日本とアメリカの制度比較や、当事者および福祉・ケアサービス提供者を対象としたフィールド調査を実施。今回、プロジェクト着想の背景や調査で明らかになったことを詳しく教えていただきました。

高齢者介護における性的マイノリティの問題を考える

──プロジェクトの経緯や目的などについて教えてください。
高齢者介護の問題については社会的な議論が続いていますが、そこでイメージされている「高齢者」は、実は特定の高齢者だけであることがほとんどです。具体的にいうと、自分が思っている性別が生まれたときの性別と一致していて(シスジェンダー)、なおかつ異性愛者として生きてきた高齢者を暗黙の前提にしています。でも、高齢者の中にも異性愛に当てはまらない人、自分が思っている性別が生まれたときの性別と違っている人、性的マイノリティとされている人たちが当然います。高齢者の中のそういう性の多様性を前提にしたときに、要介護の高齢者が安心して歳を取るために必要な制度をどう考えていくべきか、今ある制度をどう改めるべきかを考えたいと思ってこのプロジェクトを始めました。

私はもともと家族介護の研究、特に男性による介護について研究してきました。現在は介護保険制度ができ、日本では育児よりも介護のほうで、家族だけでケアの責任を負わなくてもよい動き、むしろ社会全体で分け持つ動きが進んでいるといえます。しかし、それは家族なしでも高齢者へのケアが提供される仕組みができているというわけではなくて、医療、介護などのサービスを選び、その手配をするために、家族には「この人には何がよいかを判断し、決定する」という役割が依然として求められています。

特に、機能の低下により高齢者が自分で自分の意思を言語で伝えられなくなった時には、家族による代理決定に頼ってケアの提供が行われる場面はいっぱいあります。でも、そこで代理決定に携わることが認められる「家族」には限定がかかっていることもあります。たとえば、法律的に婚姻関係にある配偶者や、法律に則ってその人の子どもだと認められている人しかその決定に携わることが認められない、ということは珍しくありません。異性愛の夫婦を中心にした「家族」に収まる関係でなければ、それまでの人生を一緒に過ごし、その高齢者のことをどんなによく知っていても、ケアの決定から遠ざけられる人もいるのです。

要介護の高齢者を支える制度があっても、その制度が特定の高齢者や特定の「家族」だけを前提にしているのであれば、高齢者を支えるはずの制度が高齢期における生きにくさや不平等をつくりだすことになるのです。だからこそ性のあり方にかかわらず、どんな高齢者も安心して老い衰えることができる仕組みを考えたくて、このプロジェクトに着手しました。

今回のプロジェクトは国内と国外で行う2つの調査を軸にしていました。1つは、性的マイノリティの高齢者が社会から排除されないようにするための外国の取り組みを学ぶための、現地でのフィールド調査です。その取り組みがどんな理念のもとに行われているのかを学んだ上で、それと照らし合わせたときに、日本の高齢者を支える仕組みにはどんな課題があるかを検討することを目的にしました。2つめは、国内で高齢者のケア提供に関わる専門職を対象とした調査です。ここでは1つめの調査から見出した課題をどう解決していけばよいか、その方向性やハードルになりそうなことを具体的に考えることを目的にしました。

平山 亮
◉平山 亮(ひらやま・りょう)
東京都健康長寿医療センター研究所研究員。2016年度研究助成プログラム助成対象者。主な著書に『介護する息子たち: 男性性の死角とケアのジェンダー分析』(勁草書房)がある

──国外で調査されて感じたこと学んだことはどのようなことですか?
国外調査の対象地にはサンフランシスコを選び、性的マイノリティ高齢者の支援を行っているNPO団体の職員の方にインタビューをしたり、現場を見せていただいたりしました。そのなかで「これは日本でも増やしていきたいな」と思ったのが、LGBT高齢者とLGBTフレンドリーなサービス提供者とを繋ぐ役割を担う、いわばブリッジ(橋渡し)になる人の存在です。性自認や性的指向についてきちんと学んで対応を考えているサービス提供者がいたとしても、性的マイノリティ当事者が、そういう提供者を自分で探し当てるのは容易ではありません。まして当事者は、高齢になるまでの長い人生、医療その他のサービス提供機関で差別的な対応を何度も経験し、サービスを受けること自体、躊躇してしまう人もいっぱいいます。

ブリッジになる人は、どこのサービス提供者がどんな対応をしてくれるかきちんと調べています。そして、「ここなら大丈夫」という提供者のなかで、その当事者にとってかかりやすいところを紹介し繋げるというサポートをしていました。そういう人がいることで、当事者がサービスを受けるハードルは下がります。また、せっかくLGBTフレンドリーな対応をしている提供者がいるのに、当事者がそこに繋がれないという事態も避けられます。協力していただいた現地の団体には、そういうブリッジ的役割を担う人がいました。

長期的には、どのサービス提供者も性自認や性的指向についてきちんと理解した上で対応できるようになることが理想ですが、一朝一夕にそれは実現しないでしょう。他方、今まさにサービスが必要な人もいるわけですから、その人たちが自分たちのニーズをきちんと満たしてくれるサービス提供者にきちんとたどりつく方法を考えなければいけない。ブリッジになる人を増やしていくことは、その1つになりえます。

要するに、LGBTフレンドリーなサービス提供者だっているんだから問題ないだろ、ということではないんです。たしかにそういう提供者もいるかもしれないけれど、それを探し当て、たどり着くための負担を、既にしんどい経験をずっとしてきているマイノリティ自身が負わなければいけないのなら、何の解決にもなっていません。既に不利益を被っているマイノリティが、その不利益を何とかするための負担を引き受けさせられること、その構造自体を不平等と呼ぶのですから。

少し話が飛ぶかもしれませんが、マイノリティが声を上げることと、マイノリティ自身が矢面に立つことは同じではないと思います。マイノリティの声を勝手に代弁することは、相対的に声が通りやすいマジョリティとしての優位な立場の濫用であるし、厳に慎むべきですが、だからといって、マイノリティが声を上げるのをただ待っていればよいわけではない。それはやはり負担の丸投げだからです。マイノリティが声を上げても大丈夫と思える状況をつくれるかどうかはマジョリティの役割でもあるわけですし、何より、マイノリティが声を上げたときに、マイノリティ自身が矢面に立たずに済むためにこそ、優位な側は自分のパワーを使えばいい。

私が現地でお話をうかがった高齢のゲイやトランスジェンダーの方のなかに、警察と何度も戦ったという方がいましたが、その方も自分の盾になってくれたマジョリティの支援者の存在の意味を強調していました。LGBTフレンドリーのイメージが強いサンフランシスコの街でも、住民全てがそうであるわけではないし、本来、市民を守るための存在である警察から差別的で不当な扱いを受けた当事者も大勢います。そういう扱いを受けた時にきちんと抗議をできたのは、別に自分が元から強かったからではなく、自分のサポーターになってくれたマジョリティ側の人々、たとえば法律の知識やネットワークを駆使して矢面に立ってくれた弁護士さんがいたからだ、と。

私のなかでは、そういう矢面に立たせないための支えと、先ほどのブリッジを提供する仕組みは通じるものがあります。どちらの取り組みも、マイノリティの現在の生活や置かれた状況を変えるために、マイノリティ自身がこれ以上何かを背負わなければいけない事態を何とか避けようとするものだと思うからです。

社会の変化というのは、たいていは徐々に起こっていくものなので、何か行動を起こしてもすぐに効果は見られないかもしれない。だから「やっても仕方ない」とあきらめたくなることもあります。でも、マジョリティにとって「あきらめる」というのは特権でもあります。変化が見られないからといって、あきらめて行動するのを止めてしまっても、ただちには困らないのがマジョリティです。逆に、何としてでも変わってもらわなければ困る、変わってくれなければ社会に「殺されて」しまう、というくらいの瀬戸際で生きているマイノリティは大勢います。

海外で性の平等のための運動を続けている先生にお会いした時に、「あなたの言っていることはすぐには広がらないと思う。でも、言わなければ広がることは絶対にない。20年30年経ったら何かが変わるかもしれないと思って言い続けなさい」と言われました。サンフランシスコでも、人生の大先輩たちに「この街は最初から今ほどLGBTフレンドリーだったわけではないんですよ」と強調されました。私自身はいろんな面で、マジョリティとしての立場を持っています。「あきらめる」というマジョリティとしての特権を使うより、たとえば私より後の世代にどんな社会を見せたいか、残したいかと考えながら、自分が相対的に「持てる者」であることを使って口うるさく発信していきたいですね。何十年かかるか分からないけれど効果が見られることを期待して。

性的マイノリティの利用者さんを担当するときに知っておいてほしいこと
プロジェクトの成果物として作成された冊子『ケアマネージャーの皆さんへ性的マイノリティの利用者さんを担当するときに知っておいてほしいこと』は、こちらからPDF版がご覧いただけます。

──助成の成果物として発行した冊子をケアマネジャーを対象にしたのはなぜですか?
日本の介護システムの枠内で、先ほどお話ししたブリッジ的な役割を誰が担いうるかと考えたとき、地域のケアマネジャーさんがそういう存在になってくれたらとても心強いと思いました。要介護状態になったときに、その高齢者のニーズを満たせるような地域のサービスをコーディネートしてくれるのがケアマネジャーさんです。ケアマネジャーさんが性的マイノリティの置かれた状況や、医療や介護のサービスを受ける上で直面しやすい困難について理解があり、地域の社会資源に関する知識や情報を使って「ここなら大丈夫ですよ」と紹介してくれるようになったら、当事者にとってこれほど心強いことはないと思いました。

そこでまず、全国のケアマネジャーさん1580名の方を対象に調査を行いました。利用者さんが性的マイノリティだったらどう考えるか、実際にそういう利用者さんを担当した時にどう対応したかなどについて質問紙調査を行い、性的マイノリティ利用者に対するケアマネジャーさんたちの受入態勢の実情を把握した上で、何を・どのように変えていく必要がありそうかを考えようと思いました。

このような全国調査はこれまでほぼ行われてこなかったので、地域差なども含め興味深い結果がたくさん得られましたが、特に印象的だったのは自由記述欄です。そこに「性的マイノリティであってもそうでなくても、どの利用者さんにも同じ対応をします」という内容のコメントを書かれた方が非常にたくさんいました。

このような対応は一見、望ましいことのように思うかもしれませんが、性的マイノリティの利用者さんにとってはむしろ疎外感を覚える対応になるかもしれません。冒頭に、現在のケアシステムにおいて想定されている「家族」のお話をしましたが、高齢者ケアに関する既存の制度はたいてい、高齢者が異性愛でシスジェンダーであることを前提にしています。だとすれば、そのような制度のもとで、どの利用者さんにも同じように通常通り対応すれば、知らず知らずのうちに異性愛やシスジェンダーではない人々を疎外するような対応になってしまう可能性があるからです。

要するに、どんな人も同じような対応をすることが、差別のない対応とイコールになるわけではないということです。現在のやり方では、非異性愛の高齢者、シスジェンダーではない高齢者がどんな困難に遭いやすいか、それはなぜなのかを丁寧に考えた上で、その原因を1つ1つ改めていく、というプロセスを経なければ、差別のない対応は実現しません。

インタビュー風景

──調査をしてよかった点はありますか?
はい、他方で、希望を持てる結果も得られました。統計的な解析の結果、直接あるいは間接的に性的マイノリティの利用者を担当したことのある専門職の話を聞いたことがあると、自分の担当する利用者さんがみんな異性愛・シスジェンダーだという前提で考えないようにしようと思う傾向があることがわかったからです。だとすれば、研修などに、性的マイノリティの利用者さんの事例を含めることには一定の効果が見込まれます。そうした研修に出て、性的マイノリティ利用者の対応に関する話を耳にしていれば、自分が担当する利用者さんにもそういう方がいるかもしれない、だから異性愛・シスジェンダーだという前提で接するのはやめよう、と思う可能性が高くなるということですから。

また、性的マイノリティの利用者さんのケースをとにかく難しいと考えている人の傾向として、性的マイノリティに関する情報源がテレビ(バラエティ番組など)であることが多いこと、逆に、専門的な書籍などで学んでいる人ほど、余裕をもって構えている傾向があることなどもわかりました。性的マイノリティについて「知識」があるといっても、その「知識」の出処によっては適切な対応ができないかもしれない。特に、「テレビで見ているからある程度はわかっている」と思っている場合には、むしろ要注意だということが示唆されていると言えます。

こうした結果を踏まえた上で作成したのが『ケアマネジャーの皆さんへ:性的マイノリティの利用者さんを担当するときに知っておいてほしいこと』というパンフレットです。性的マイノリティの利用者さんが相談しやすい相手になるように、また、ケアマネジャーさんが利用者さんの性の多様性を前提にした対応ができるようになるために、こんな学びの機会を取り入れたらどうだろうか、とか、利用者さんとの関わりのなかでこんなことに気を付けてみるのはどうだろうか、とか、ケアマネジャーさんに向けた具体的な提案をまとめました。

先ほど、「どの利用者にも同じ対応をします」と書かれた回答が非常に多かったこととその問題点ばかりを言ってしまいましたが、私は、そう書いた方が性的マイノリティの利用者さんに寄り添う気がないとは決して思いません。むしろ逆で、「性的マイノリティの利用者さんであっても差別なく扱いたい」という気持ちから「同じ対応をします」と書かれた方のほうがずっと多いのではないかと思っています。その気持ちが、性的マイノリティの利用者さんにきちんと届くような対応のしかたができるようになったらいいな、という思いで、このパンフレットを作りました。

インタビュー

──日本がサンフランシスコに提供できることはありますか?
それを答えるのは難しいですね。私はサンフランシスコの支援団体を訪れて、ブリッジ的な役割を果たす存在に注目し、国内でケアマネジャーさんが同じような役割を担えるかどうかを考えたわけですが、それは別にサンフランシスコの人が私に対して「これは日本に役に立つはず」と差し出した知識や経験ではないですよね。私にできるのは日本でどんな取り組みがされているか、私の知る範囲でご紹介することだけで、そのなかから何を取り入れるべきかを判断できるのは現地の方たちではないかな、と思います。

ただ、外国での反応でいうと、海外の学会などで日本の高齢者介護の報告をしたときに、たいてい不思議そうな顔をされる定番の話があります。それは、日本の高齢者がよく口にする「家族に迷惑をかけたくない」という言葉についてです。不思議に思われるのは、日本の高齢者が「迷惑をかけたくない」ということ自体ではなくて、そう言いながら自分の希望を言わないことに対してのようです。「迷惑をかけたくない」からこそ、介護に関して「こうしてほしい」、「あれをしないでほしい」という希望を口にすることをなるべく控える、という高齢者は皆さんもイメージできると思いますが、それが不可解に感じるということです。

たとえば、私が以前学会で聞かれたのは、「迷惑をかけたくないのなら、介護に関する自分の希望をきちんと言えばいいのに、なぜ言わないのか」ということでした。してほしいこと・してほしくないことを明確に伝えておけば、家族は「何をしてあげたらいいんだろう」と迷ったりすることがなくなる。結果的に「迷惑をかけ」ずに済むではないか、というのがその理由のようでした。逆に言えば、介護に関する希望を言わないことは、むしろ周りにとって迷惑ではないか、ということですよね。

私自身の観察では、あとの世代ほど希望を言うことに必ずしも躊躇いがなくなってきているようにも思えますが、いずれにせよ、「迷惑をかけたくない」という理由で希望を表明しない高齢者も日本には少なくないわけで、またそうやって希望を表明しないことを良しと考える高齢者を相手に、その人の意思に沿った介護を何とか提供したいと奮闘しているケア提供者もたくさんいるわけです。高齢者ケアに関わる国外の人たちのなかには、そうした状況を興味深く思う人が一定程度いるように思います。

──最後に、介護の現場にいらっしゃらない方々に何かひとことお願いします。
性自認や性的指向をめぐる問題は、決して人生の一時期だけに関わる問題ではないということについて、理解が深まるといいな、と思います。性的マイノリティが抱える困難について、以前よりも社会的な注目は集まりやすくなっているように思いますが、そこでの性的マイノリティは比較的若い年齢の人が想定されているように思います。それはメディアで取り上げられやすいのが学校や職場でのLGBTの経験だったり、同性婚など「家族をつくる」ことをめぐる問題だからかもしれません。でも当たり前のことですが、性的マイノリティは特定の年齢、特定の世代にだけいるわけではないのです。

社会の高齢化や介護に関する議論はますます盛んになっていますが、どうかそのときに異性愛でシスジェンダーの高齢者だけを念頭に置かないでほしい。性の多様性という昨今よく耳にするキーワードは、高齢社会に関する議論を行う際にも決して忘れないでほしいと思います。

公益財団法人トヨタ財団 広報誌JOINT No.32掲載
発行日:2020年1月24日

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