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JOINT29号 インタビュー1「課題解決の方法は大事、おもしろいことをやっていく」

田中惇敏

聞き手:比田井純也(国内助成プログラムプログラムオフィサー)

[助成対象者]
田中惇敏
[プロフィール]
特定非営利活動法人Cloud JAPAN代表理事。特定非営利活動法人HOME-FOR-ALL事務局長。株式会社おかえり代表取締役社長。東日本大震災を目の当たりにし、ボランティアを九州から東北に派遣する団体「Q.E.D.Project架け橋」を九州の大学の学生とともに設立、その後、宮城県気仙沼市に移住し、気仙沼を中心にさまざまな活動を行う
[助成題目]
愛(I)ターンの若者の若者による若者のための気仙沼の新たな入り口を展開する! -地域と若者が共生するゲストハウスと観光と拠点づくり-
本ページの内容は広報誌『JOINT』に載せきれなかった情報を追加した拡大版です。

課題解決の方法は大事、おもしろいことをやっていく

田中惇敏さん(右)と比田井純也(聞き手・国内助成プログラムプログラムオフィサー)
田中惇敏さん(右)と比田井純也(聞き手・国内助成プログラムプログラムオフィサー)

──田中さんは今は九州大学の学生ですが、どのような勉強をしていて、なぜその勉強を始めようと思ったのか教えてください。
九州大学工学部建築学科の4年生です。3年間通って4年間休学して現在は8回生目になります。建築学科を選んだのは、九州大学のオープンキャンパスで建築模型が展示されていたのにビビッと来たからというのが表向きの理由。説明していた大学生のお姉さんがとてもきれいだったというのが裏の理由です(笑)。一級建築士の資格があると古民家や空き家の改修ができるので資格は取りたいと思いますが、建物を作るというより、存在する建物を運営したいです。研究室は建築計画学というところで、新築を作るというより存在する建物をどう活かすか、地域と建物の関係を良くしましょうということをやっています。3年しか学ばず休学しましたが、自分がやっている空き家活用の活動に少なからず役立つ知識があったと思います。

──大事にしていること、教訓や信念などはありますか。
自分を信じることは昔から大事にしていてそれは今も大切にしています。小学校3年生から大学生まで10年間バドミントンをしていました。高校の時は筋トレもすごく力を入れて本気で頑張っていました。小学校のジュニアクラブの時にはすでに「信」という言葉を掲げていましたね。

──今気仙沼で事業をされていますが、なぜ今の事業を始めたのか、なぜその事業内容にしようと思ったのでしょうか。
今解決が必要な課題だと思うことに取り組みたいと思ってきました。絵本カフェもゲストハウスも、その瞬間必要なニーズだったのでやっているみたいなところがありますね。一番最初は震災があって1年くらいたったところでボランティアとして気仙沼に行きました。そこに特別な思いがあったわけではなく、ボランティアが終わって戻ってきたら普通に建築を勉強して、卒業したらどこかの設計事務所に入るという流れの最初の一歩として、被災地を見ておいたほうがいいだろうというくらいの気持ちで気仙沼に行ったのが2012年の3月です。自分と同じ福岡の学生にも同じ経験をしてもらいたいと思って、福岡から学生を派遣する団体を作ったのが同じ年の5月ころです。

ボランティアの数が増えてくると泊まる場所もなくなるので、地元で活動していたNPOの事務所で寝かせてもらっていました。ホテルに宿泊すると1万円くらいはかかるので、これからもボランティアを続けるにあたって安価で泊まれる場所が必要と思ったのがゲストハウス事業のきっかけです。もっというと、たまたま行っていたボランティア先にお寺があったのですが、そこの方がどこに泊まっているの? と聞いてくださって、NPOの事務所に泊まっている話をしたら、檀家さんが持っている空き家を貸していただけるよう便宜を図ってくださったんです。そうしたら東京の学生団体さんたちも使いたいと言い始めたので、「ゲストハウス架け橋」という名前にしました。その時はゲストハウスに泊まったことがあったわけでもゲストハウスをやりたかったわけでもなかった。ゲストハウスという存在すら知りませんでした。

──ボランティアにもともと興味があったのでしょうか。
ボランティアを人助けと定義すると、困っている人を周りの目を気にせず助けるというのはずっとやってきたつもりでした。今の自分たちのボランティアの定義は、活動を通して地元の人たちと触れ合えるかどうかというのを一番に置いていて、ボランティアはそのツールでしかないと思っています。

──「ボランティア」という言葉って使いますか?
場所によります。自分たちのボランティアはこうだっていう定義を伝えて、関わってくれる人にとってのボランティアの定義を変えていきたいと思っています。

たとえば大学で説明会などをするときには、自己犠牲の意味をボランティアという言葉に乗せて使っています。気仙沼で人が困っているから助けてください、という感じで。だから入り口は自己犠牲という意味なのですが、実際に活動して地元の人と交流して、出ていくときは僕が定義している方のボランティアになっていると思います。

インタビュー風景

──北海道や熊本の地震、関西や岡山などの水害などもあり、どうしても新しい情報の方に流されてしまい、気仙沼の今ってどうなのかなと心で思っている人はたくさんいるはずですが、あまり様子を聞かなくなってしまいました。
復興を目標として動いているのですが、今40%くらいだと思っています。風化現象ということに関しては、個人的には完全に風化しきったと思っていて、被災地気仙沼というのでは人が来ないですね。東北支援の事業もあるにはあるのですが金額が減っていて、この先なくなることが目に見えている中で、僕はそこで勝負する気はもうなくて、全国にある一つの町、面白い課題解決方法が生まれる場所として気仙沼に居続けています。風化しきっているからこそ何をやるかだと思いますね。でも震災後多くの方にご支援いただいたのは事実なので、その方々に恩返しじゃないですけど、何ができるかというのは考えていきたいと思っています。

──事業のことをもう少し教えてください。特に気を付けたり意識したりしていることってありますか。
持続可能性というところはとても意識していて、いただいた助成金は初期投資なので、それで持続可能なものをつくるというのが前提になっていて、それが地域の方のためになるようにというところは意識しています。寄付金がなくても回る仕組みにしないと、と思っています。

社会に必要だからというだけではなくて、その活動でみんながわくわくするかというのも意識しています。課題は見つめないといけないのですが、それをどうやって面白く変えていくか。誰もやったことがないような課題解決の方法は大事にしているつもりです。こうすれば必ず成功するけど面白くないというようなことはやりません。

託児所とネットカフェをくっつけるという事業も、いろいろなところで発表する中でいろいろな人がいいねって言ってくれたわくわくを大事にしたいです。これ面白いね、全国に広まったらいいねという前向きな思いから寄付していただきたいので、社会の多くの方にそのビジネスモデルって面白いねと言ってもらえるかどうかは大切にしています。

──活動における田中さんのモチベーションは何ですか?
気仙沼に第二の家族がいるんです。ボランティアの途中でたまたま休みに行ったお茶屋さんのことなのですが。これまであまり感じたことがなかった人の温かさを体感させてくれたおばあちゃんがいて、気仙沼に行くと必ずお会いしていますし、お孫さんも含めて家族皆さんと親しくさせていただいています。

気仙沼とか復興支援とか起業とか関係なく、その人たちと生きていきたいというのがモチベーション。その人たちが石巻に行くというなら自分も石巻に行くと思います。自分の家族ももちろん好きですが、第二の家族も好きです。人と一緒に生き続けたいというのがモチベーションですね。他にはお金がNPOのモチベーションとしてあってもいいと思っています。

──NPOでも最低限のお金、もしくはそれ以上を得られないとモチベーションにつながらないですよね。日本におけるNPOの価値ってまだまだ低いと思っていて、民間と同じレベルまで賃金が上がるべきだと思っているのですが。
民間よりも稼げる組織にしたいと思っています。うちの組織ではスタッフにそれなりの時給を出していますし、1年休学してきてくれている子たちは正社員として雇っているので、健康保険とか全部含めて雇用しています。自分の給料ももちろん出していますし、別のゲストハウスやNPOからもお給料をいただいていますので、同い年の東京のサラリーマンよりずっと多い月収を得ています。

そもそも企業って売上を上げるのが仕事ですが、自分たちは社会にいいことをしながら売り上げを上げないといけない事業型のNPOなので、たとえばゲストハウスでお金を稼いでいます。まわりに起業家が多いのでお金を稼ぐというのは僕にとっては当たり前の文化。お金を稼ぐことと社会にいいことをすることをどれだけ掛け算できるかだと思っています。それが新しいわくわくするような課題解決の方法だと思っているので、これからも給与形態は変えるつもりはないですし、日本のNPOの中でも高収入の水準を保てるようになっていきたいと思います。

──そうしたほうが若い人たちの就職活動の中にNPOが入ってきますよね。一般的な学生はNPOに就職するという選択肢自体を持たない人が多いですが、田中さんみたいな新しいNPOの在り方は僕はとても望ましいと思います。そうしていかないとNPOの価値が上がらない。
相乗効果だと思います。賃金を上げれば優秀な人材が入ってきますよね。以前より能力の高い学生がインターンに来てくれている感覚はあります。これってほかのNPOの方々とも共有したい価値観なんですけどね。今認定NPOを取ろうとしているのですが、そういうところも含めてちゃんとやっていると示したいんです。NPO業界を変えていきたいと思っています。

田中惇敏

──今後の事業の展望や目標を教えてください。活動を通じてどんな社会、未来を作っていきたいですか。田中さん個人として3年後のビジョンと10年後のビジョンを教えてください。
組織としては、NPO法人クラウドジャパンで地域や地方に限らず、全国どこでもいいと思うのですが、その地域のためにやりたいと思って活動する人たちがわくわく仕事ができる、それで食べていける社会を作りたいですし、みんなが主体的に社会課題に取り組める、たとえば5歳でも98歳でも地域のために何かできるということを、地域が応援できる社会を作っていきたいというのは組織としてずっと思っています。

個人的には3年後も大学にいたいです。院生、博士、講師、どのような状況なのかはわかりませんが、まだ学び続けていたいと思います。現場だけでは見えないものがあるというのは、最近現場を半年くらい離れて感じました。片足は必ず学術、片足は必ず現場に置いていたいです。

──田中さんは4年間休学されましたが、僕だったら怖さもあると思うんです。その時の心境はいかがでしたか?
最初から4年間休学しようと決めていたわけではなくて、最初は1年だけのつもりだったし、2年目も2年でやめるつもりでした。自分が学生を預かる側になって感じたことですが、預かる側の人間が変わらないといけないですね。今年も休学してくる子がいるのですが、ゲストハウス架け橋をその子に丸ごと任せて代表になってもらおうと思っています。自分の側が学生をコマとしてではなくてプレーヤーとしていかに受け入れるか。その子の成長を一番に考えると自分たちが変わります。

なぜゲストハウス架け橋を全面的に任せるかというと、感性はどんどん変わっていかないといけないんです。学生にプレーヤーとして預けたほうが面白くなると思っていて、人間の流動性みたいな意味合いで、休学期間の学生のように仕事を休んだ社会人たちが流動する中で、社会がもっとアップグレードしていけばと思います。学生にはそういう理解がある人たちを見つけてそういうところに行って欲しいと思います。

学生と同じように社会人も人生の休学期間を作れるようなことを法律で決めてほしいですね。全日本人は1年間休学期間、ノーリスクで活動できる期間という意味ですが、それを取れる。そうすれば流動の中で面白いことが生まれていくと思います。社会に出て数年働いて、他のところってどうなっているんだろう、自分って本当にこの企業にいていいのかな、みたいなときに1年くらい休学できるイメージです。

──本日はありがとうございました。益々のご活躍を期待しています!

公益財団法人トヨタ財団 広報誌JOINT No.29掲載(加筆web版)
発行日:2019年1月25日

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