公益財団法人トヨタ財団

OPINION

06 震災から1年 ~ 被災地「石巻」からの想い ~

渡辺 元(トヨタ財団プログラム部長)

プログラム部長

去る3月11日午後2時46分、私は生れ故郷、宮城県石巻市の日和山にいた。そこからは、東日本大震災で壊滅的な被害を受けた南浜・門脇地区を見渡すことができる。家族や近親者を亡くしたであろう方々、支援活動に携わっているボランティア・NPO/NGOのスタッフ、報道関係者等々、多くの人びとが集い、被災した地区に向けて深い祈りを捧げていた。一年前の<あの日>、M9・0、最大震度7・0の「東北地方太平洋沖地震」が発生。約1時間後には巨大津波が石巻市全体を襲い、死者3280人 、行方不明553人、全・半壊家屋33,378棟*1の甚大な被害をもたらした。あれから一年。復旧作業も徐々に進み、復興に向けた足音が少しずつではあるが市内各地で聞こえてくるようにはなってきた。しかし、その一方で、あまりに遅い進展状況に苛立ちも覚える。

被災地の状況
上/津波と火災により被災した石巻市立門脇小学校。中/処理のすすまないがれきの山。下/瓦礫が撤去され、更地となった被災地区(2012年3月11日 筆者撮影)

震災後、「未曾有の災害」、「想定外の事態」、「日本社会の根底を揺るがした出来事」、「3・11は歴史の転換点」等々 、これからの世界が大きく変わるかのような言説・評論が飛び交った。そして、「つながり・絆が大事」……と。しかし、時間の経過とともに、いつの間にか、 人びとの関心は薄れていってはしまいか。やはり、「人は記憶を忘却するもの」(寺田寅彦*2)なのだろうか?「歴史の必然で残酷な出来事も忘れ去られていく。被災していない人も含めて当事者意識を持たないと、この震災も同じように風化していってしまうのでは……*3」と、高校(宮城県立石巻高等学校)の先輩で、女川町出身の俳優・中村雅俊さんも懸念している。

であればこそ、震災を「忘れない」、そして、あの時の体験/経験を語り継ぐ。そこから、「へこたれない」社会を創ることに、地域の人びと一人一人が真剣 に取り組んでいくことが大事となる。そのためには、震災に可能な限り向き合い、生きる場としてのその地域の歴史・文化や自然に学び、小さくても「歩み」を 前に進めていくことだろう。ただし一人では限界がある。「復興」の主体は、あくまで地域であり、コミュニティ(共同体)であるべきだが、その本質は「関 係」にある。人と人、人と自然、人と文化など、「外の世界」とつながる新たな共同体の形成と経済活動の再興を目指すことが肝要だ。「関係の再創造」(内山 節*4)が鍵となろう。

日本は、これまで数多くの震災を経験してきた。貞観大津波、明治三陸大津波、関東大震災、昭和三陸大津波、チリ地震津波、阪神・淡路大震災…… 等々。しかし、どんな時でも、人びとと地域社会は再起してきた。苦悩や悲しみを経験するたびに、これを乗り越え、以前にも増して、より良い状況を創出しよ うとする人間の営為には不変的なものがある。今回の震災でも、すでに同様な動きが見られることは、2011年度地域社会プログラム・震災対応「特定課題」 への多数の応募内容からも窺える。被災した地域の人びとが主体となり、行政・企業・NPO・ボランティアなど、地域内外のあらゆる関係者・団体等と連携・ 協働しながら、地域の“明日”に向けた力強い取り組みを一歩一歩進めていってほしい。当財団としても、そうした人びとの思いと行動に、微力ながら役立つ活動を今後も展開していきたいと思う。

*1
石巻市、宮城県のウェブサイトより
*2
戦前の物理学者、俳人。科学と文学をつなぐ名随筆家として名高い。代表作『天災と日本人』等が震災後再び注目されている
*3
朝日新聞「beテレビ」(2012年3月3日)より
*4
1950年生まれ、哲学者。近著に、3・11後の社会を論じた『文明の災禍』(新潮社)がある

公益財団法人トヨタ財団 広報誌JOINT No.9掲載
発行日:2012年4月25日

ページトップへ